4.《ネタバレ》 当時わざわざ映画館に行って見たが、子ども心にやり切れない思いが残った。自分は“ゴジラのいる世界”を見に来たのであって、スクリーンにゴジラが映りさえすればいいというものではない。これでは子どもでも騙せない、というのは自分の経験で証明されている。過去映像を最大限に使う工夫なのはわかるが、そのためにシリーズ中で唯一、ゴジラが出現しないゴジラ映画になってしまっており、こんなことならガメラ映画のストレートな流用の方がまだましだろうと思える。
ただし今見てみると、荒唐無稽な怪獣場面は全て子どもの夢物語と割り切ることで、かえって普通の映画として見られるという効果もある。まず注目できるのは何と言っても昭和40年代の工業地域の景観で(川崎市か)、冒頭、やさぐれた感じの「怪獣マーチ」にも出る大気汚染は画面上でも表現されており、小学生の通学路も殺伐とした雰囲気で、廃工場の荒れた風景は初見時の記憶としても残っている。一方、劇中のTV報道に出ていた「若者の狂った行動」などは高度成長期の社会の歪みと認識されていたのだろうが、こういった時代感覚は次回作にも引き継がれているように思われる(スタッフは違うようだが)。
ところで主人公は、当時増えて来ていたと思われる「カギっ子」という設定だが、性格が「引っ込み思案」というのはカギっ子という以前に一人っ子のせいだろう。劇中のガキ大将は、いじめっ子というより仲間に入れと誘っているようにも見えて、その後の深刻ないじめ問題とはまだ無縁な時代と感じられる。終盤では、ナマの実力行使がものを言ったというよりも、主人公が少しだけワルになったことで仲間になれたことを評価したい。
ほかキャストでは、母親役の中真千子さんの出番があまりないのは少し残念だが、母親のいる部屋を独りのときより明るく見せていたのは若干印象的だった。また天本英世氏が優しい大人の役で、主人公を見る慈愛の目が他人事ながら嬉しく思われた。当時の人は殺伐とした世相と思っていたかも知れないが、こういうご近所さんが普通にいる映画ができているというのは逆に、まだまだ日本社会も捨てたものではなかったと感じさせる。