6.《ネタバレ》 この映画は、まがいもなくホロコーストを暗喩したもので、あちこちにホロコーストのメタファーが見られるところが興味深い。
そもそも、ヘルマン・カプランじいさんがユダヤ人だという設定や、列車が彼にとってかつて妻と子供を失ったユダヤ人収容所のあるポーランドへ向かうことになったというストーリーそのものが、「この映画で、ホロコーストをみなさんに思いこしていただきますよ」というメッセージだと言えるだろう。
たとえば、この列車そのものは、ユダヤ人を収容所へ運ぶ列車を思い起こさせる。
特に、乗客を閉じ込めて外に出られないように、外側から窓もドアも封じて外が見えにくくさせた結果、そもそも窓のない貨物列車のような状態になったあたり。目をはった。その貨物列車こそがユダヤ人輸送に使われた列車である。
列車が駅を通過したり、途中で停車する際、駅に銃をかまえたたくさんの兵士がものものしい雰囲気で列車を待ち構えている様子もまた、ユダヤ人輸送列車を待ち構えるドイツ軍兵士の姿そのものだ。
列車の中に”新鮮な酸素”ということで、装置を室内に入れて酸素をブファーっと吹き出させるが、ブファ~っときたとき、説明を受けていない乗客たちが「ヒェッ!これは何!?」とおびえる様子は、いうまでもなく、ガス室の暗喩ということだろう。
駅の周辺には、赤十字のマークがついたトラックがとまっていたが、それもナチスのカギ十字を思わせる。
辛くも橋の落下を免れた後部車両の乗客達が、助かった助かったと、列車から飛び出して列をなして草ぼうぼうの道をただひたすら歩き続けるサマも、ユダヤ人解放時によく見られた光景だ。
後部車両のひとたちは助かって、前の車両のひとたちは助からなかった・・・という設定も、”ナチス軍に対抗し収容所からの脱走を試みたユダヤ人→犠牲者は出ても助かるユダヤ人がいた”(=後部車両)と、”ナチス軍に対抗せず、ただ黙って収容所に向かう列車に乗り運命の流れるままにジっとしていたユダヤ人→死亡”(前部車両)という、コントラストと重なる。
それにしても、乗客たちは謎のウィルスに次々感染していったわけだが、主人公の医者ともあろう人間がチュウチョなく素手で感染者をベタベタさわるだけでなく、素人で無防備な乗客に感染者に付き添っているように指示したり、その他もろもろの荒すぎる脚本を書いたひとのほうがよっぽど謎ではある。
ただ、ホロコーストのメタファーをここまでちりばめた、ホロコースト映画ではない映画という意味では、実によくできた脚本だとも言えなくもない。
そしてカプランを演じたリーストラスバーグ自身もユダヤ人であることは興味深い。