4.《ネタバレ》 木村大作はこれを見て「劔岳」が失敗であることに気付くべきだ。アマルフィが美しかろうがオールイタリアロケだろうが、その風景に物語が引き摺られては駄目だ。イタリアが舞台でもイタリアを撮りに行ったわけではない。そんな「劔岳」のような失敗をこの映画は見事に回避している。
正直言ってそんなに悪くないのだ。織田裕二演じる黒田の人間性や天海祐希演じる母親の心情もそつがなく描かれている。だからか、織田裕二の眉間に皺を寄せた顔も、木偶の坊みたいで映えない天海祐希も許せる。登場人物の出し入れもそつがない。戸田恵梨香演じる安達の登場のタイミング、出過ぎは邪魔臭いイタリア人刑事と他の日本人は程よく出す、このようなところは弁えられている。
物語は、ありきたり、説得力に欠ける、阿呆らしいと言ってしまえばそれまでだ。しかしながら、その脚本がこの映画ではそつがなく演出され、そつがなく出来上がっているのが良い。だからこその125分。名所の実景ばかり挿んで間延びして140分近くになったら目もあてられない。
そして映画はそつがなく進んでいくが、ある時、一気に破綻する。黒田が刑事に銃を突きつける。これを悪いとは思わない。そんなアメリカ映画などいくらでもある。それが銃社会かどうかということで、日本だと成立しないのだが、イタリアが舞台だからいいじゃんとも思える。ただそこから破綻し続けないから駄目だ。破綻することで物語は加速度を増すのだから、強引でも納得できちゃえばそれでいい。映画なんて所詮嘘っぱちだ。
巻頭とラストの大使館でのミーティングのシーンが同構図のショットの同じ繋りで出来ていること、つまり事件を挟んでも大使館の日常は続くという表象、こういうこともそつがなくやれている。
ただ残念なことがある。映画の必然性として、黒田はやはり本当の父親になるべきだ。映画はそれを許す。そしてそうならなければ成立しないショットがふたつある。佐藤浩市演じる藤井は最後に黒田を呼び止める。クロースアップ。無言で何かを伝える。黒田のクロースアップ。わかったと頷く。藤井は黒田に会う度に言う「紗江子さんを宜しくお願いします」「紗江子さんを最後まで支えてやって下さい」と。つまり藤井の無言のクロースアップはそういうことだ。そして黒田はそれに頷いた。だから彼は日本に帰らなければいけない。続編を作ろうなんてフジテレビは考えてはいけないのだ。