6.《ネタバレ》 原作、熟読。テレビドラマも何回か見た上で。
ようやく気づいた。下世話な話だなあ。(この先、完全なネタバレあり)
そもそも、息子の嫁に手を出す人間が屑なのに、その人物を神聖視し、死んでからでさえ批判できない家族。(実は、この時点でもうすでに家族が崩壊してるわけなんだけど)
そのために爺さんの子なら爺さんの子で、早い時期にはっきりさせればいいのに、うじうじ内面で悩み、冷たい態度を取る。偉い大銀行家様ぶってるけれど、実はもう老境にさしかかっても父親へのコンプレックスを解消できない実に小さな人物。こんな人物が主人公と気づけば興ざめ。
もう一つ。全体の流れで、鉄平を何の落ち度も無い、父親の犠牲になった哀れな犠牲者として描こうとしているわけだが、よくよく考えてみれば、彼が高炉の建造を始めなければ起こらなかった悲劇で。別に、阪神特殊鋼は高炉を直ちに作らなければ企業として存続できないわけでもなかった。
冷静に評価すれば、彼が高炉を建造しなければならない必要性の度合いと、父親が銀行を他銀行と合併させなければならない必要性を考えれば、父親の方が上だろう。
実の親子云々を考えなくても、大介が鉄平にイラっとする気持ちもわかる。
鉄平を悲劇の主にするには、高炉を作らなければならなかった必要性の描写が、原作、ドラマ、映画、どれをとっても足りないと思う。壮大な描写で、ついつい見過ごされがちだが。 平成24年7月9日追記 繰り返し見れば見るほど、鉄平の企業人、組織人としての甘さにイライラする映画。 企業の経営者として優先させなければならないのは、利潤の追求、従業員の生活、関連企業への責任等々のはずだが、戯けたことに彼が最優先させるのは「自分の夢」、でその結果が大事故の多くの犠牲者、会社の倒産につながるわけで。まったく、ええ年こいた企業の経営者としてはちょっとありえない。
それと山本薩夫って実に不愉快な映画製作者。他の映画でも触れたが、彼がどのような思想を持ち、またその思想に基づいてプロパガンダ映画を作るのも自由。
しかしながら、それは彼のオリジナル作品で行われるべきであって、有名な原作で多くの観客が見込められるような作品に、木に竹を接ぐようなプロパガンダを盛り込むのは、あまりに姑息だと思う。