1.《ネタバレ》 ボブ・ディランそれは私にとっては「地獄の黙示録」の怪しいオープニング曲を歌ってる人。
そしてあまりに多くのアメリカ人に愛されてるらしい人。カレを大嫌いだという人がいない人。
そういう人やモノってあやしいと思うことにしましょう。圧倒的多数の人が好きだと思うものなんて、あやしくなくてなんなんでしょう。
そんなボブ・ディランのことを大好きな人たちが作ったコレですけど、まーウィキペディアくらいは引いてから見たほうがいいでしょう~。そいでないと確実にワケがわかりません。
ウィキペディア済みであっても、さらにワケのわからないリチャード・ギアのパートですが、ようするにボブ・ディランが好きだったというビリー・ザ・キッド幻想ですよね。
ここのパートと、黒人少年のパートは完全に「ボブ・ディランの勝手な妄想」なわけで、この作品では「妄想」もカレの人格の一部だとしているのですね。
まっそうやってディランて人は面倒をケムにまいて生きてきたらしいので映画もそういう感じなので、私は「ケム」部分を「これはケム」として認識したうえで「だいたいこういうことがあった」部分に注目してしまいます。
特に、ほかのパートと比べて非常に浮いているのがヒース・レジャーのパートで、ほかの役者に比べて体格もリッパすぎるし、やっていることがあまりに「生々しい」です。ツマとの不仲だの親権だの裁判だの離婚判決書だのと、「ビリー・ザ・キッド」を夢見る吟遊詩人的世界とはかけはなれています。
私はこれがカレの本質であって、あとのものは全部情けないヒース的部分を「ケム」するためだと言ってもいいのではないかとすら思う。もしもこの作品にヒース部分が無かったとしたら、「ザ・夢見る吟遊詩人」で済んでしまいそうではないか。
口から出まかせの言葉をテキトーにアドリブでギターに乗せたら「すごい詩を書くやつ。」と尊敬されてしまった…と言ってはファンに殺されそうですね。
なんでか知らないけど欧米では「詩が書けるやつ」がスゲーという伝統文化があります。なんか女にモテちゃうというような。たぶん識字率がけっこう低いとかディスレクシアの人がたくさんいるということと関係あるのかも。私は「詩が書けるやつ幻想」と呼びたいが、この作品を見るかぎりボブ・ディランはそれを利用して、そして被害者にもなったのかもしれぬ、と思いました。