2.《ネタバレ》 前半にある主人公が南瓜が嫌いであるという食卓のシーン。
テーブルに用意されている食事はふたつ。
誰もが、何故ふたつしか用意されていないのだろうかと思うはずだ。
ここが完全なる伏線になっている。
中盤あたりからこの映画は死者探しへと物語を移行させるわけだが、
ああ、成る程、だからなのかと思う。
勿論、ここで死者が誰であるかということは誰にでも確信できるわけだが、
そこは問題ではない。
これは橋本愛のための映画だからだ。
あの眼帯を外す瞬間こそが、この映画の最高の見せ場であり、
そのためのライティングが成され、そのためのクロースアップで撮られている。
女優はスタッフにそうさせようと思わせる存在でなければならないが
ただそれに甘んじてもいけない。
それはとても贅沢なことなのだから。
この映画での橋本愛が演じる鳴という存在の描き方。
その存在が一体なんであるのかが明らかになるシーンでの衣裳。
今までの制服から一転、私服になり人形に紛れる。
そしてラストシーンに至るまでの彼女の衣裳の変化だ。
徐々に徐々に明るい色へと変化していく彼女の私服は
彼女の感情の変化に他ならないはずだ。
これが演出というものだろう。
この映画は例えばルチオ・フルチのようなイタリアホラー的な要素が
詰め込まれていてそういう面でも楽しめるわけだが、
別にそんなことどうでもよく、結局は橋本愛だろう。
蛇足として、この映画には黒沢清『叫』の小西真奈美のシーンと
同じような解釈を施しているシーンがある。
勿論それは加藤あいが合宿の写真を見つけるシーンだ。
大胆というか、辻褄はまったく無視されているというか、
あのシーンの意味がね、まったくわからん。
あの絵のこととかを考えると、
実はさらりと感情的に深いとこをえぐっていたというとこなのだろうか。