2.《ネタバレ》 これは、難しいなと思ったんですが、結局のところリチャードジュエルが本当にシロかどうかはグレーなまま、しかし、彼が無実であることを信じることにしよう、そして彼の英雄的行動を称えよう! という主旨の映画かと思ったんですけど、彼が生前に映画化されてたなら良かったんですけど、実際にはもう当人が亡くなってしまってて、そうすると、彼が亡くなってもう再犯の危険が全くなくなったのでやっと映画化できたのでは? というあざとさが気になってしまった感じです。
メインの問題として、プロファイリングに当時の偏見が混ざって問題のある判定ではなかったかという疑念がしつこく提示され、かつ当時の価値観で偏見を抱かれやすい主人公の属性が強調される(自制心なく食べてしまうので太ってるとか、黙れと言われても黙ってられないとか、勝手に人の引き出しの中を見てるとか、今でいうとGeekっぽい異様なほどの銃器や警察関係の知識の深さや執着や)んですけど、そこを否定すると、後出しで出てくる共犯が居たのでは? という疑念を否定する根拠がなくなる。
で、「疑わしきは罰せず」で無罪判定になったとしても、実際の犯人が捕まらないと本当の意味で安心できないなと思って、後で犯人が捕まって自白したという情報が出てくるんですけど、映画中のFBIの悪どいやりくちを散々見せられた後だと、その自白も本当に信用できるものなのだろうか? と、操作方法に疑念があると、犯人が捕まったと言われてもまだ安心できず、結局リチャードジュエルが亡くなって、少なくともからが実は犯人だったとしても、その再犯はなくなってやっと安心できるみたいな。
母親の終盤のスピーチとか、リチャードジュエルのFBIへ断固とした主張をする場面とか、弁護士との友情とかは、すごい良い場面だったと思います。
が、リチャードジュエルの主張で言われるところの「自分を犯人に仕立て上げるために手練手管を凝らすよりも、本当の犯人を捕まえ、再犯防止すべき」という話が、この映画製作自体にも刺さってきてるように感じて「主人公を善人に仕立て上げるために手練手管を凝らすよりも、本当の犯人を捕まえ、再犯防止すべき」では? と思ってしまいました。本質的に、この映画の製作で行われてることと、作中のFBIの行ってることって同じじゃんって。
あと、リチャードジュエルが弁護士に黙っているように言われてるにも関わらずしゃべってしまう場面は、作中で主人公に精神的疾患があるのでは? 的話が後でちょろっと出てきますけど、そういう、軽度なので精神病というほどでもないけど、日常生活ができないほど悪化すると病気判定されるような特質かなあ、と思って見てました(ときどき、そういう人が現実に駅とかにいたりして。じっとしなさい、と言われてじっとすることができない子供、とかの話とか)。
そんなところです。