10.《ネタバレ》 原作物の映画化、しかも地上波放映のカット版で判断するのは相当乱暴かとも思いますが、あくまでその範囲で……
「つたない」の一言につきるストーリーですね。
偶然の上に偶然を積み重ねていく段階で、もうかなり駄目なんですが、さらにその偶然によって起こされた出来事自体にはあまり意味が無く、そうまで無理して作ったストーリーで何が言いたかったか全くイミフ。
鳴子(宮崎あおい)の雷太探しと、シンヤとジュピターのエピソードとは、全くその過程において、つながりはない。
最終的に、「偶然」知り合いだった二人が、それぞれ探したり、心のつながりを持ってた人が、これまた「偶然」知り合い同士だったというだけで、それ以上の意味も、それ以下の意味もない。
鳴子にとってのジュピター、シンヤにとっての雷太は、間接的な関係しかない存在なわけで。
これだけ、無理やりな「偶然」で何を言いたかったか、全くわからない。
だから、どんなに可愛い顔でいい表情をして「きっと明日は晴れるよ」って言われても、
「はぁ?」としか思えないわけで。
宮崎あおいの仕事の選ぶ基準に、深刻な疑問を感じます。
ただ宮崎あおいの可愛さと、ああ平山綾ってこんなに可愛かったっけという意外性だけで、この点数までいくのは自分でもどうかとw
平成24年4月5日再見 どこか自分でも気が付かないいいところがあるかと思ってみたが、筋がわかって見てると余計退屈に。よく韓国ドラなんかでも「ソウルには3家族くらいしか住んどらんのかいな」くらいにすべての登場人物が偶然に結びついていく話がありますが、自分はダメですね、こういう偶然抜きにはまったく成り立たない話。
比較的比重の少ない宮崎あおいや平山彩の笑顔目当てでも、この映画をもう一度見るのはきつい。
死ぬ直前のジュピターのストーリーだけはよかったかな。