1.《ネタバレ》 エンドクレジットに「IMAX3D」とあるのに日本じゃIMAXはおろか3Dですら上映してませんね。なんか最近の日本の上映環境って設備と反比例するように貧乏臭い。
さて、チャウ・シンチー久々の作品、出演はせず監督・脚本のみですが、彼らしい映画に仕上がってます。多少のアラやツッコミどころをものともせずパワフルでエネルギッシュに映画を進めていって飽きさせません。
個性的な登場人物、大がかりなセットとCGを駆使したアクション、アイディアに溢れたエピソードやアイテムの数々、ひとときも目を離す隙のない具沢山な娯楽大作。
冒頭のエピソードが『ジョーズ』まんまな展開をするあたりで今回もスピルバーグの影響大って感じますけど。
でも、見終わって「痛快!」というわけにはいきませんでした。
冒頭のエピソードで幼い少女まで犠牲になる惨劇を描いて生まれる重さ、それが全編にのしかかっていて、そしてそれは最後に至って解消されるのではなく、更なるエピソードの積み重ねでしこりとなって残る感じ。
『西遊記』であればこそ誰にも有無を言わさない必然であるデウス・エクス・マキナによって物語は解決へと導かれる訳ですが、いくらなんでも映画はそこにべったりし過ぎた気がします。
悟りの境地がそこに至るまでにさして説得力を持っておらず、絶対的な存在の作用による到達点のように思えて、パーソナルな愛と総体的な愛とは同義であると語られるとは言え、極悪非道な悟空やその他の存在(その悲劇は口で語られるばかりで具体的な心理描写は無し)を許容し内包するだけの高まりに到達し得ていないように見えるのです。つまり平たく言っちゃえば「悟空クズ過ぎて観客的には納得できねえ」って事ですが。
そのデウス・エクス・マキナを作劇上、確信的に登場させたのでしょうけれど、絶対視するあまりに魂が見えず、なんだか賑やかな宗教映画の如き印象を抱いてしまったのでした。