2.《ネタバレ》 水曜日に、トップガンとこれを見ました。「ハケンアニメ」
いろいろと噂は聞いていましたが、原作は知らなかった。
原作には関係なく、映画単体のレビュー(辛口)になります。
新人職業女子の自立ドラマとしては、サクセス・ストーリーとして伏線もよく効いているし面白く出来ていると思いました。
しかし、ここで描かれる覇権争いに至るアニメ製作現場と、二人のアニメ監督の葛藤に関しては、違和感がありました。
ここで描かれる覇権争いは、アニメ業界で働く個人(その代表としての二人の監督)を描くテーマとして、ポイントがズレていると思います。
映画を見た私の印象は《広告代理店によるペプシとコークの宣伝合戦》です。
プロデューサーは広告代理店の営業、アニメ監督は広告デザイナーに見えてしまった。つまりアニメの創作ではなく、戦略と根回しでアニメという製品を売る映画。
表面上は、アニメ監督の吉岡里帆が主役ですが、物語を俯瞰すると、明らかに柄本佑と尾野真千子の戦いがストーリーの主体。だから《覇権》という《売る》ことが映画のゴールになっている。
その証拠に、この映画でカッコイイところは、全部プロデューサーが持っていく。
ハッキリ言いますが、映画もアニメも「監督が売ることを考えたら終わり」です。
監督は、ひたすら視聴者の心を動かすフィルムを作る。コンテを直すシーンなら、どういう理由で、どんな表現かを具体的に見せないと共感できない。
意見の違うスタッフを動かす理由も“アニメを愛する同志”だから心が響き合う、そこをもっと見せて欲しかった。
創作を通して監督のアニメ愛、スタッフのアニメ愛が見れてこそ、観客も一緒に共感できると思う。
『ハメルンの笛吹き』という童話がありますよね。
私たち映画の観客や、アニメファンは「見る側」。アニメを作るクリアイターは「見せる側」です。
ハケンアニメは「見せる側」の映画で、私たち「見る側」の数を賭け、一喜一憂する。
私たち「見る側」を「笛で操るネズミ」のように表現してないか?「笛吹き」は「見せる側」=アニメの製作会社。
両者には上下格差の壁ができている。違和感の正体はこれ。集めたネズミの数で勝負する映画にしたのは間違いだと思う。
誰に見せたくて、この映画を作ったのか?
一番見てくれるのは、アニメが好きで、アニメを仕事にしたい若い子たちじゃないかな。
そんな子たちに、会社が望む監督の理想像を見せるのもいいが、一番大事なことは「アニメが好きであることの大切さ」じゃないかな。「アニメが好き」なことにおいて「作る人」も「観る人」も同じ地平に立っている。
多くのアニメスタッフは、きびしい環境でも、一人のアニメファンとして「アニメが好きだから」仕事を続けてるし、監督はその中で「ほかの誰よりもアニメが好き」だから監督な訳ですから。
この映画の救いは、劇中のアニメが素晴らしい出来なこと。アニメ全話を見たくなるくらい凄い仕事をしてると思う。
アニメパートのスタッフには、文句なしに120点をあげたい。
ドラマの欠点をアニメの素晴らしさが上回り、映画全体を美談に感じさせてしまってるのは大きな問題ですが・・・。