4.《ネタバレ》 デパルマ監督らしい、駄作でも傑作でもない、標準レベルのありふれたサスペンス。
本作を鑑賞してちょっと思ったことがある。「殺しのドレス」なども同様にデパルマ作品において、おかしな奴が登場したときに即座にその正体やカラクリが分かってしまうということは、いかがなものだろうか思った。
デパルマ作品において、顔の似ている兄弟のような人物が登場すれば、これは多重人格ということを疑ってかかるしかないだろう。事実、その通りにストーリーは進み、そのまま特段のサプライズもなく、この映画は終わる。誰も「結末を知って、とても驚きました!」とは思わないだろう。なぜ、このように明らかにネタが分かるような仕組みで映画を創るのかを考えてみると、例えば、スティーブンキング原作でジョニーデップが主演した作品があったかと思うが、散々オチを引っ張った挙句に、あまり大した事のないオチ(レビューにおいて、他の作品のオチは明かさないというルールがあるので詳細には書かないが)であった。「期待感」と「オチ(のくだらなさ)」に落差が生じるから、そのような作品には失望感が生まれる。
しかし、本作のような明らかにオチが分かる作品においては、特別の「期待感」が生じない。「期待感」が生じなければ、失望されることもない。よって、さほど酷評されることもないだろう。「オチ」に対して自信がないために、ある程度序盤からネタをバラすという作風は「確信犯」的な匂いを感じる。
また、本作のような作風は、古典落語のようなものかもしれないと思う。古典落語を聴く人々は、そのオチやネタを知りつつ、恐らくその寄席を聴きに行くのだろう。オチが分かっていても、巧みな話術や独特の表現方法に酔いしれるのである。本作においては、自分はそのネタは分かりつつも、監督独特の演出方法やカメラワークに酔いしれた。どこにそのようにして撮る意味があったのか理解はできないが、警察署で誰か二人ぐらいの人物が話しながら階段を降りていく長回しのシーンがあった。カメラも同時に複雑な動きをしながら、スムーズに階段を降っていく、本当に神業的な見事な撮影方法であった。デパルマ監督の鑑賞方法は古典落語に通じるような「芸」を観るようなものかもしれない。