2.《ネタバレ》 この映画には基本的にドラマ性という視点が欠如している。
同僚の死、各人命救助、結婚に至るまで、そしてあの大きな火災での救援活動など、いづれもありのままの姿を平坦に描いている。
はじめ、仲間の死をなぜドラマティックに描こうとしないのか勿体無いなと感じていたが、見続けていて気がついた。この映画の趣旨が非現実な偽物の世界を描こうというつもりがないからである。
現実の消防士の世界をありのままに描くという視点がこの映画の主題なのではないか。
ビルの上からの人命救助や、黒人の女の子を救うための人命救助にも特別なドラマは要らない。
普通の映画とは違い、ガラスもなかなか割れない。女の子を見つけたとしても、一人ではどうしようもなく、ただ助けを求め続けることしかできない。そういう泥臭い仕事が消防士の仕事なのである。
同僚の死でさえも、一時でも注意を怠れば、死ととなり合わせ、死と直結する世界であることを伝えていることに過ぎない。
なぜ彼らが危険を犯してまで、この仕事に携われるかというと、それはこの映画のもう一つの主題である「人の命を救う仕事の尊さ」だろう。
確かに人間である以上、その信念は揺らぐことはある。「この仕事は好きか」と質問されても即答できなくなるかもしれない。
しかし、ホアキンは死の間際であっても、この仕事に誇りをもちつつ死を迎えたのではないかと感じさせた。ホアキンやトラボルタ、大火傷を負った同僚他、コアな信念は揺らぐことはなかったという気がする。
たぶん自分が脚本家やプロデュサーであれば、絶対にこのような映画を創ることはできないと思う。恐らくバックドラフトのようなものを創ろうとするだろう。
この映画のように主人公を助けようという気持ちは痛いほど伝わるものの、救援活動らしいことはまるで描かずに(カッターで鉄筋一つ切るのも一苦労)、最後は置き去りにせざるを得ないという脚本は、ある意味で非常に新鮮だった。この世界にはミラクルなど何もないのである。
トラボルタも目立たないながら、なかなか良い仕事をしていた気がする。ホアキンを支え、成長させ、見守り続けていた。ホアキンの表彰式の際には、人一倍喜んでいた姿が印象的だった。
また、この映画にはアメリカ人らしいバカ騒ぎがいくつも描かれており、文化の違いというか、気質の違いをまざまざと感じさせてくれるという面も面白い。