13.面白い“青春映画”だったと思う。
夢も希望もなければ、友もなく、女もなく、当然金もない、社会の底辺で生きざるを得ない男の束の間の青春を、取り繕いなく切り取ったユニークな映画だった。
日雇いの人足仕事でその日暮らしをしている主人公・北町貫多は、19歳にして既に人生を諦めかけている。
稼いだ僅かな金は、酒と風俗に費やし、家賃滞納を続けているアパートからはいつ追い出されるかも分からぬ日々。
そんな男に、ふと同い年の「友達」が出来たことで、ほんの少しだけ人生に「色」がつき始める。
ただし、わずかに19歳らしい色めきが立ったところで、この男に長年に渡って染み付いた下卑た根性が一掃されるわけではなく、次第にまた人は離れていく。親しくなった友も、焦がれた女も。
という一連のこの主人公の青春模様、人生模様が、愚かしくも、可笑しい。
彼が得た顛末は総てにおいて「自業自得」の一言に尽き、擁護のしようもないのだけれど、彼と一度は友達になった二人と同様に、この北町貫多という男のことが気になって仕方なくなる。
主人公・北町貫多を演じる森山未來が、流石の表現力を見せつけてくれる。
このキャラクターが持つ生活環境によって染み付いた下品さと屈折した性格を見事に表し、「誰にも愛されない主人公」をほぼ完璧に体現している。
また主人公の友達となる高良健吾、前田敦子の役柄と佇まいもそれぞれ良かった。
彼ら3人が、立入禁止の海辺で戯れる場面は、あからさまな青春感がどこか非現実的な雰囲気も醸し出しており、この作品に相応しい名シーンだと思える。
ただ一方で、原作「苦役列車」で書き連ねられたものは、もっと暗くて笑えない悲観そのものだったのではないかとも予測できる。
原作は未読なのだが、今作で芥川賞を受賞した西村賢太が描きつけた世界観に、この映画で示されたようなポジティブさは微塵もないのだろう。
自分自身の人生を象った私小説だからこそ、この映画作品の佇まいに対して憤りを感じたことも充分に理解できる。「俺には“何もない”がある」なんてキャッチコピーには、虫唾が走ったに違いない。
必ずしも原作通りに映画を作ることが正解だとは思わない。特に私小説をそのまま映画化することは独善的になりがちだし、あまりにリスキーだと思う。
しかし、実際、この映画作品の主人公・北町貫多が背負っている苦悩は、劇中で露わになっている以上に深く救い難いものだろう。
その主人公の苦悩をもう少しだけきちんと根底に描きつけることが出来ていたなら、“束の間の青春”がもっと特別な時間として映り、この映画はもっと確固たる名作になり得たかも知れない。
そして、この監督と演者たちにはそれが出来たと思う。