3.「映画づくり」において、独自の世界観を貫き通すクリエイターは多々居るが、ティム・バートンという人ほどその特異な世界観を貫き通した上で、商業的な成功に長けた作品をコンスタントに生み出し続けているクリエイターは中々居ないと思う。
この15年ほどのティム・バートンの監督作品はほぼ漏れなく劇場で鑑賞してきている。
当然、作品によって好き嫌いはあるが、どの作品においても“ティム・バートン印”と言えるような「個性」が確実に存在し、どんな形であれそれが貫かれている以上、無下に否定することは出来ない。
そして、今作もまたそんな“バートン印”がこれでもかと押されている作品に仕上がっていると思う。
ティム・バートンらしい徹底した“悪ふざけ”の炸裂ぶりは、「マーズ・アタック!」を彷彿とさせる。この“ふざけかた”に免疫があるかないかで、この映画に対する許容は大いに変わってくるだろう。
得意のゴシックホラー調の気味悪くもポップな映画世界に彩られたストップモーションアニメのクオリティーは秀逸という他無く、もうそのアニメーションの動きだけで一定の満足度は得られる。
ただし、同時に物語の帰着点に若干の不満は残った。
主人公の少年が巻き起こした騒動の発端となる「行為」に対しての戒めと、それに伴う彼の成長が、今ひとつ曖昧に映ってしまっていることは否めない。
途中、科学教師からストーリーの核心に繋がり得る“教え”が主人公に伝えられるが、それがラストにきっちりと回収されていない。
今回ティム・バートンは、そういうある種正統なテーマ性を少々無視してでも、“悪ふざけ”によるB級映画ノリを徹底したのだと思うが、もう少しストーリーテリング自体に説得力が備わっていた方が、個人的には好感が持てたと思う。
しかし、前述の通り、もうそれは個々人の好みの問題であり、このティム・バートンという異才の極めてパーソナルな部分を貫き通した今作に対して不満を突きつけるのはお門違いだとも思う。
想像以上に暴走していく映画のテンションに、面食らいつつも、ほくそ笑んで楽しむべき映画だろう。
あと、そもそも“犬好き”な者にとっては、“フラン犬”スパーキーの愛くるしい動きとけなげさに対して、どうしたって涙腺は緩んでしまう。ズルい。