73.《ネタバレ》 作品を完成させた際の「煙草とシャンペン」の儀式を冒頭で描いてる事や「ペンギンの人形を逆向きで置いた場面」を、しっかり見せてる事が印象的。
とても伏線が丁寧で、誠実に作られた一品だったと思います。
これなら劇中で「ロケットマン」に対し「インチキ」とお怒りだったアニーも、きっと満足してくれるんじゃないでしょうか。
とにかく原作小説が印象深いもので、どうしても「原作とココが違う、アレも違う」という比較論で語りたくなっちゃうんですが……
そういうのって、ちょっと映画に対してアンフェアな気もするし、純粋に映画そのものを楽しめてない気がするから、及び腰になっちゃいますね。
それでも、やっぱり語らずにはいられないので始めちゃいますが、劇中で「ミザリーの生還」の原稿を本当に焼いてしまう展開だった事には、もう吃驚です。
確かに、その方がインパクトは高まるし「主人公のポールも、犠牲を払った上でアニーに勝利した」という劇的な流れになるのは分かりますが……
原作では原稿を摩り替えており、本当に焼くような真似はしていないし「ミザリーの生還」の結末がどうなるか、ちゃんと読者に教えてくれる作りだったんですよね。
この辺り、原作未読の人は「イアンとウィンドソン、どちらと結ばれるのか」などの答えが分からないまま映画が終わるので、もどかしく思えるかも……
いや、原作と違って「ミザリーの生還」を劇中作として読ませるという手法じゃないから、案外そんなに気にならないかも?
などと、アレコレ考えられて楽しかったです。
それと「包丁を取り出す練習をするポールが恰好良い」とか「アニーが優しい言葉を掛けつつライターオイルを振り掛けて『穢らわしい原稿を焼かなかったら、貴方を焼いてしまうわよ?』と暗に脅してるような場面が素晴らしい」とか、文字媒体の小説では中々描けないような、映像で魅せる映画ならではの良さが、しっかり感じられた辺りも嬉しいですね。
いかにも最後まで生き残り、ポールを救ってくれそうな老保安官が殺される場面もショッキングだったし、原作を読了済みの自分でも楽しめたのは「映画版独自の魅力」が、しっかり備わっていたからだと思います。
これは演者さんの力なんでしょうけど、投げキッスをする場面なんかでは、あの恐ろしい「女神」であるアニーが可愛らしく思えたし、男女のロマンス要素が色濃く感じられた辺りも、興味深い。
ファン心理の暴走というよりは「アニーはポールに歪んだ愛情を抱いてる」「殺すのはアニーにとっての愛情表現でもある」っていう面が強かった気がするんですよね。
だからこそ、過去の死亡記事を見つけて、自分がアニーにとっての「初めての男」ではないと悟るポールの場面も二重にショッキングに感じられたし、この辺りは「狂った女の愛憎物語」として、とても良く出来ていると思います。
ただ、最後に関しては……
原作から大きく逸脱してる訳じゃないし、エンディング曲の歌詞を併せて考えると「これからも、アニーはポールから逃られない」「二人は、ずっと一緒」という余韻を残す終わり方にしたかったんでしょうが、ちょっと微妙に思えましたね。
原作はハッピーエンド色が強く、とうとうアニーの幻影を振り切って新しい小説を書き出せた感動と共に終わっていますし、まるで趣が違うんです。
「自らが生み出したミザリーを憎んで殺したはずなのに、生き返らせる事になった」からこそ「ミザリーと同じように、アニーも墓から甦ってくるかも知れない」と怯えるポールという、ミザリーとアニーを重ね合わせる描写が感じられなかったのも、不満点と言えそう。
それに、どうせ独自の展開にするなら、いっそ原作でも示唆された「チェーンソーを振り上げ、襲ってくるアニー」を映像で見せて欲しかったなぁ……なんて、つい思っちゃいましたね。
こんな願望を抱いてしまう辺り、自分も充分に「怖いファン」と言えるかも知れません。