6.《ネタバレ》 まずは題名の意味がよくわからないので落ち着かないが、外見からすれば中年オカマと少女の組み合わせが不釣り合いということか。また少女が長身で大人びた顔のわりに年齢に似合ったガキっぽさも出しているのがアンバランスともいえる。
ところで“人生のブレイクスルー”について考えた場合、少女の級友が過激な行動によって一発で実現していた(いきなりで驚いた)のは効率的ではあるが、しかし万人向けとしてはもう少し穏健なやり方が望まれるところである。
まず、無理に保っていた平衡状態をぶち壊すのは効果的である。少女の場合は突然出会った異質な人物が、独りよがりな「戦略」をなし崩しにしたのが突破口になったらしい。一方で中年オカマは深刻さのレベルが全く違っていたわけだが、それでも少女がまっすぐで無遠慮な好意をぶつけたことでプライドが根底から崩れてしまい、それでかえって次の道が開けた気になったようである。
また人間関係の取り方に関していえば、調和を優先して自分が引くとか迎合していればいいのでなく、あえて自分を出して衝突するのが問題の打開につながることもある。終盤で少女が仇敵に喧嘩を売ったのは痛快だったが、同時にその仇敵の方も、無道なことをすれば手ひどい反撃を受けると思い知ったことで別の教育的効果が生じたとも考えられる。
映画のラストでは、以上のブレイクスルー後の新しい安定状態が示されていたようで、ここでは新しい友人に自分のことを伝えたい、という少女の思いが、ほのぼのした音楽とともに素直に心に入って来る。そのように他者と心を通じ合うきっかけとして、まずは助けを求めてみてはどうか、というのがこの映画の提案だったようだが、しかし中学生はともかく大人の立場としては体面もあるのでそう簡単にはいかない。いい歳をした大人が、全てが崩壊した後になって初めて少女に泣きついていたのは情けない有様だったが、それだけに同じ大人としても切ないものがあった。
なおこの映画では舞台を特定の地方都市に設定しており、自分が昔ここに住んでいた頃に、オカマに迫られて脱がされそうになったことを思い出す(劇中の文化横丁ではない)。映像に何度か出る霊屋橋(おたまやばし)の周辺は緑が多く、角度によっては山中の渓谷のようにも見えるが、これでも市街中心部に隣接した旧城下町の一角である。