2.もともと『スピード』の時から、ヤン・デ・ボンという人は監督業には向いてないんだろう、と思ってたんですが、実際、ああいうネタ自体の企画の良さというアシストが無いとたちまち馬脚を表し(いや、『スピード』も充分ポンコツだけど)、監督業からはフェイドアウトしてしまいました。『スピード』以上に、スピード感のあるキャリア。
で、監督としてのキャリアの最底辺に位置するのがもしかしたらこの『ホーンティング』ということになるのかな? 『スピード2』とどっちが下か? とか、まあ、そんな事はどうでもよくて、個人的には(極めて個人的には)『ホーンティング』は割とイイと思っちゃうんですけどねえ。そんなこと思っちゃって、すみません。
正直、物語と言えそうなものは殆どなくって、古い屋敷における怪異が、いかにも地味~なテイストで描かれます。ホラー映画ではよく、思わぬタイミングで突然誰かと出くわして一瞬ビックリ、なんていうカマシのシーンがありますが、そういうのもこの作品では、皆無とは言わぬまでも相当に控えめ。登場人物の数もごく少なく、殺され要員みたいな若者いないため、スプラッタ方面に走る余地もなく。何というか、ゴシック調のダークファンタジー。
で、ストーリーテリングという重荷が外れたせいなのかどうなのか、これだったらヤン・デ・ボンにだって撮れちゃう!ってな感じで、思いつくまま気の向くまま、何となく怪異らしきものがダラダラと、じゃなかった、点描的に描かれていきます。ガランとした広大な屋敷の雰囲気、飾られた肖像画のあやしさ、等とも相俟って、なんかいい感じ、ついつい引き込まれ、これだったら何時間でも見てられるなあ、と。いやホントにこのペースで3時間も4時間もやられるとツラいとは思いますが、それでもこの雰囲気は、なかなか。ピーター・ハイアムズのように撮影監督を自分で兼ねよう、という訳ではなく、別の人に撮影を任せてはおりますが、ヤン・デ・ボンの撮影監督としての出自が、この雰囲気作りに活かされているのでは(・・・と、信じたい)。
一応、まったくストーリーが無い訳ではなく、映画としてそれなりにオチをつけるけど、正直、そこはどうでもよくって(ああ、言ってしまった・・・)。怪異を並べるための、方便。それを描くCGのクオリティも、当時としては上々の部類と言ってよいのでは。技術の高さというより、見せ方のうまさ。
話はかわりますが、ヤン・デ・ボンという名前を聞くと未だになぜかゴジラを連想し、「アメリカ版ゴジラ」という言葉を聞くとなぜかヤン・デ・ボンの名前を連想してしまいます。実在しない映画、実現しなかった企画。いや正直言うと、「ヤン・デ・ボンがゴジラ映画なんて勘弁してくれ」と思った記憶もあるのだけど、それでも今となっては(アメリカでも普通にゴジラ映画が作られるようになってからは特に)、エメゴジも嫌いじゃないけどデボゴジってのも見てみたかったなあ、と思うのでした。ストーリーなんて、要らないから。
余談だけど、この『ホーンティング』の撮影監督であるカール・ウォルター・リンデンローブって人、実はエメリッヒ組だったのね???