1.《ネタバレ》 おそらく現在見て一番嬉しいのは、明治の風俗の再現であろう。物売りや子どもの遊びや、昭和13年の時点でまだナマな記憶が残っていたであろう頃の再現だ。文献史料を元にした再現じゃなく、そこらにいるスタッフのだれかれに話を聞けた。大昔ではなかった、というか、現在『三丁目の夕日』を回顧しているぐらいの時間的距離だろう、いや、もっと近過去だったかな。勉学による立身ということが、何の疑いも曇りも持たずに輝いていた幸福な明治。旧弊なものはことごとく阻害者としてあり、たとえば父の山本礼三郎、あるいは伊勢屋の主人と丁稚のシステム(かつてひいきにしてくれた伊勢屋のお嬢ちゃんが、吾一が丁稚に来て吾助となったとたん横柄になる)。未来を拓いていく者は、文学青年教師の小林勇であり、絵描きの青年江川宇礼雄でありとモダンで、旧弊な側とはっきり二分されている。これはそのまま田舎と東京という二分でもあり、ラストでランプを割って電気の街に出ていくことになるわけだ。名場面としては、吾一が母の封筒貼りを手伝って間違えてしまうところ、自分に対する悔しさが渦巻くあのエピソードは本当に切ない。あとは母親の死を暗示するシーン、タルコフスキー『惑星ソラリス』の冒頭を先取りしたような、水草のゆらぎの美しいこと。