4.好きか嫌いかで言えば、好き。
キャラクターづくり自体は、原作に忠実なキャラも、映画独自のオリジナリティを出したキャラも、総じて良い。
ただ、ストーリーがあまりに雑すぎた。
“こういう映画”なので、雑多なのは大いに結構だが、ストーリー展開として盛り上がりに欠けたことは否めない。娯楽映画としてのストーリー的な巧さは、もっといくらでも出せたと思う。
そうすれば、もう一味も二味も”サイコー”な映画になったろう、と大変勿体無く思う。
井上三太の原作「TOKYO TRIBE 2」は、ファッション誌「boon」での連載中から単行本を買って愛読していた。
田舎のダサい高校生だった僕が、どうやってこの漫画を知り、単行本を集めるに至ったか全く思い出せない。けれど、自分の住む世界とあまりにかけ離れたこの漫画の「欲望」と「狂気」の世界観を、まるで“いけないものを見るような”感覚で密かに楽しんでいたことを思い出す。
その欲望と狂気の世界観を園子温が撮る!という報は、かつての“いけない”感覚を呼び起こし、“ワクワク”というよりも“ドキドキ”に近い期待感を生んでいた。
結果として、この映画の監督が園子温であったことは、「成功」だったと思う。
この作品とキャラクターたちが表す、熱さも、愚かさも、可笑しさも、恐ろしさも、下らなさも、その要素は総て園子温という表現者が持つ資質に合致していた。
だからこそ、前述の“勿体無い感”が際立つ。
ストーリーは、“馬鹿”がつくほど単純でいい。「ケンカを売った」「ケンカを買った」「どちらかが勝った」それでいいのだ。
ただ、せっかく揃えた濃いキャラクターを巧く使って盛り上げて欲しかった。
プロの役者も、プロのラッパーも、出演陣が総じて良かっただけに、それぞれに印象的な見せ場や、壮絶な死に様を用意してあげて欲しかったと思う。そういう部分が軽薄だったため、映画としての盛り上がりにかけてしまっていた。
“ラップミュージカル”とイントロするだけあって、“プロ”を揃えたラップによるミュージカルシーンは、どの場面も非常にエモーショナルだった。
映画を観終わり、「サウンドトラックが欲しい!」と思えたのは久々だ。それだけでも、この映画の価値は大きいと思える。