1.淡い光の中で、様々な人間たちがそれぞれの思いをありのままに繰り広げる。
こういう映画は、僕自身が映画を見始め、映画を志した頃に好んでよく見たタイプの映画で、好きだし、弱い。
加えて主人公たちも、映画を撮り、フィルムを遺すのだから、もう個人的には“オテアゲ”状態である。
だが、とても良い映画だったと思う。
とても近くにいた人の大切な想いを、その人が遠く離れてしまってからようやく気付く。いや、ほんとうはとっくに気付いていたのかもしれない。でも、近いからこそ、無意識に気付かないふりをしてしまっていた。
プロットとすればよくあるタイプではある。でも、やわらかい光に溢れた映像美の中に、時にシニカルに、時におかしさを含めながら、切なく描き出す。そういうキレイ事だけで留まらない映画の表現的な巧さが光っている。
ヒロインの上野樹里や、その盲目の妹を演じる蒼井優が、当然の如く巧くて、本来もっと主人公として際立つべき市原隼人が(若い二人の女優に)食われすぎている感はあるが、不器用で切ない人間模様を瑞々しさと安定感をもって表現されていたと思う。
この映画は、美しい光に溢れ、“虹の女神”なんていかにもキレイなタイトルがついてはいるが、主人公たちも含め登場する人間たちは、決して“完璧”なんかではない。
優柔不断だし、屈折しているし、虚栄的だったり、臆病者だったりする。
でも、そういうことが人間として当然だし、だからこそ垣間見えてくる“輝き”とその“美しさ”というものをこの映画は認め、映し出す。
失わずに済むものなら、それにこしたことはない。しかし、必ずしもそういうわけにはいかないのが、人間というもの。
そういった人間の根本的な部分での、「儚さ」と「美しさ」を描く作品だった。