9.《ネタバレ》 いやー、景色が美しく、時間の進むのが早い映画だった。
何より(好みは別として)撮影手法が生々しくも素晴らしい。
そして、思い起こす…胸の奥の奥にある記憶。
それが事実としてあったのか?それとも俺の妄想か?
多感な時期故に、何かが胸に突き刺さり、ズキズキと痛くなる。
この作品は…そうだ、一言でいうならば。
青年になってから味わう(かも知れない)「スタンドバイミー」って印象。
いや、それについては人それぞれだろう。
けど、味わった人は「本当の大人」になれるんじゃないか?と思う。
そう「本当の大人」だ。
もちろん、年齢だけの事じゃない。
表現するなら「人の気持ちが分かって同情できる人間」だ。
この作品は例えるなら…少年が、射精を覚えてから青年にるまでの時期。
微妙かつ、これから大人になる時に、影響を与えるだろう慎重なタイミングだ。
感化され易く、そして影響を受けやすい時期…。
――朱に交われば赤くなる。
まさに多感かつ、末端に広がってゆく心を持った者にとって世界とは……(例として)赤き世界。
狂った「赤き世の中」でも、狂った人間にならないように防護壁を作り…ただただ自分を護る。
そして、狂わなかったが故に「何の存在意味もなくなった大人」になってゆく。
そんな悲しい場所が、我々の済んでいる……この世界だ。
青く産まれようが、緑の癒しを持とうが…赤き世界で生きるのは過酷だ。
ならば――「朱に交わり赤くなれ」と大人や偉い人は問う。
それがこの狂った世界で…赤き人らの創るルールだ。
ああ、その世界の異常さよ。
個人の突出などは、何の意味もない。
赤き世界の目線で「狂ってない人間」を量産するため、生産を促す。
永遠の命などは決して無い。
なのに、誰がそんな世界で永らえたいのか?
人はそこまで長生きできない。
狂ってる世界だからこそ…寿命すらも全う出来ない人間も出てくる。
やれやれだ…心の底から、赤き世界に失望する。
*
*
ん―――で、だ。
この映画はガス・ヴァン・サントの特異な演出で進んでゆく。
想えば、過去…1989年、マット・ディロンの「ドラッグストア・カウボーイ」で知った職人監督だった。
その後も「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」や、1998年版の「サイコ」とか
あ、そうそう!ショーン・コネリーの「小説家を見つけたら」などもあった。
作品のバリエーションも素晴らしく、その多彩さに感銘を受けたのを想い出す。
編集とか録音とか…かなり細部に拘る監督なのかな、と推察してる…作品を観てると、かなり細かい配慮がされてるしね。
しかし、なんと言っても主役の2人が素敵だ。
今は亡き「リバー・フェニックス」が「居眠り病」という奇異な難病持ちのマイクを好演。
そして「キアヌ・リーヴス」が演じるスコット…その2人の関係が「過去の何か」を想い出させて、個人的に胸に来た。
映画は…男娼、同性愛、ドラッグ、近親相姦、ナルコレプシー(居眠り病)などの人間が故の業(カルマ)を扱いつつも、若者の心情を鋭く描く事に挑戦している。
なんでも、聞いた話によると…アレ。
ウィリアム・シェイクスピアによる「ヘンリー四世/第1部」と「ヘンリー四世/第2部」、そして「ヘンリー五世」の三戯曲を原作としているらしい。
若者としての多感さ、そして繊細さを持ちつつ…互いに傷つけ合うのを恐れても、寄り添い合う2人が悲しくも切ない。
そして…結果が残酷過ぎた…俺には。
そして、この作品が上映されてから30年以上前だ…早いな。
キアヌとリバーの友情の話は、今も…胸に衝動を与え続けている。
今も、リバーに貰った靴(にテーピングをしながらも)履き続けているキアヌ・リーブス。
中には「あれはポーズ」とか言う奴も居るけど、そんな事を言う奴にとっては……うん、それでいいと思う。
ただ、本当の友情を知る奴にとっては、当たり前の光景でしかない。
有るはずのモノが見えない……悲しい人生だな、と同情する。
そして、永遠の友情を生きている姿って、本当に素晴らしいんだな、と思う。
映画のラスト…アレはアレで残酷だけど自然だった。
想うのは…人間の繋がりって、自分だけじゃなく周囲からも伸びている。
この狂った赤い世界であろうが、うん。
そこを、見失ってはいけない。
そして、大切な人を彷徨わせてもいけない。
ああ、美しい景色よ。
ああ、流れる雲の早さよ
ああ、残酷な日々よ…。
Have a Nice Day
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