7.《ネタバレ》 公開時から話題で、劇場で観たかった映画の一つだったが、スクリーンで観られなかったことはむしろラッキーだったかもしれない。
多くの場合、この表現は映画が“面白くなかった”ことを意味するが、この映画は違う。
文句なしに“面白い!”映画だった。
その上で、これからこの映画を観る人は、ソフトを購入するにしてもレンタルするにしても、またはインターネットの配信サービスを利用するにしても、いずれにしても絶対に「PC」で観るべきだと断言したい。
僕自身、レンタルしてきたDVDをテレビで観始めたが、冒頭のシークエンスではたと気付き、「PC」での鑑賞に切り替えた。
この映画は、主人公である父親が行方不明になった娘を、PCの履歴やHDD、SNSの投稿や交友関係を追いながら見つけ出そうとする。その様が、終始一貫して彼が使用しているPCの画面上で映し出され、展開するわけだ。
即ち、鑑賞者は今作をPC(Macなら尚良)で鑑賞することで、あたかも主人公の主観でストーリー展開を追うことができる。
POV方式の主観ショットを全編通して駆使したアクション映画や、カメラを持つ撮影者の視点で映し出されるファウンド・フッテージ映画など、文字通り“視点”を変えた映画手法が広まって久しいが、この映画の“視点”はまた新しく、未経験の映画体験を得られることは間違いない。
勿論、決して“アイデア一発”だけの映画ではなく、しっかりと練られたストーリーテリングと、主人公を含め、登場人物の全員がどこか怪しく見える描写も絶妙だったと思う。
この“視点”のアイデアを生かしたプロローグ描写も「見事」の一言に尽きる。
PCの利用履歴や画面動作のみで主人公家族の営みや、思い出、そして失ったものを、効率よく効果的に映し出すことに成功している。
主人公と同じく娘を持つ父親の立場で映画鑑賞をしていると、プロローグのみで早々に涙腺が潤んでくる。
娘を愛する父親だからこその“惑い”や“妄信”が、事件の本質を時にぼやかし、時にミスリードに導いてしまう。しかし、最後の最後、すんでのところで事の解決を導き出したのも、父の愛情だった。
ストーリーとして上手いのは、「事件」を巡る攻防の表裏に存在したものが、共に「親の愛」であったという悲哀。
両者の感情は、人の親であれば誰しも理解し得ることであり、もしかしたら主人公の父親が“反対側”の立ち位置にいた可能性もあり得なくはないということ。
一人の親として、自分自身がそれぞれの立場に置かれたとき、果たしてどのように「行動」できるか。きっとパニックは避けられないだろうし、決して理屈的に明言できるものではないと思う。
そういった普遍的かつ、微妙な人間心理も踏まえた上で、極めて身近な恐怖を描き出した優れたサスペンス映画だった。
それにしても、警察の電話受付の女性が“おしゃべり”で本当に良かった。