5.《ネタバレ》 映画としては、充分及第点をつけられる作品だったと思う。監督の力量に安定感を感じる。
決定的な不満は残ったが…橋本治の三島由紀夫論によると、この話の白眉は第四部のラストにあるという。
数十年後、出家して門跡となった聡子を訪ねる本多が、「松枝など知らぬ」と言われることで、無常感極まるのだという。「豊饒の海」である。月のクレーター。不毛の地。
「春の雪」だけを映画にされてしまうと、一見「純愛」のように幕を閉じてしまう。やっぱり不満だ。
で、なにはともかく大正ロマンを満喫できる。大正ロマンとは何か。私は「富の錯覚」と評したい。
もともと日本は貧乏な国なのであり、今もそうで、日本史を振り返って見たところで、天皇になったって、将軍になったって、大した贅沢ができたわけでもなく、日本人は贅沢に慣れてないどころか本当の贅沢の意味も知らぬ。大正元年当時の日本人だってそうで、おそらく松枝侯爵のやっていることなど西洋の貴族から見たら「貧乏人のままごと」でしかないに違いない。プチ松枝侯爵がうようよ発生した時代、それが大正ロマンの時代と思う。
「春の雪」それは、男対女の純愛…などではない。なんたってあの三島由紀夫が考えた話だもの。
S男とM子が見事にめぐりあい、これ以上ないという絶好のシチュエーションで、〝プレー〟を楽しんでいる…そして、S男の脇には「友達」ではなく〝ホ〟で始まる美男子もセットされている…なんと三島好みの構成。それが「春の雪」だ。
映画「春の雪」を見ながら、行定監督の手腕よりも、原作者三島の意地悪さのほうに、「うーん、やるな」と唸ってしまう。
キャストについては、まず竹内結子に「首の短さ」という救いがたい難がある(そして意外に太い)。
なおかつ、聡子を演じるにあたって、おそらくは美智子皇后や紀子妃の立ち振る舞いを真似たと思われるのだが、これがいけなかった。常に前傾姿勢でいることによって、首の短さが強調され、着物も洋服も似合わない。…竹内には可哀想だが、私としては若い頃の鷲尾いさ子にやらせたかった(でも鷲尾はSの系統だ…)。
妻夫木はなかなか驚かせてくれた。人をアゴでこき使う性格の悪いお坊ちゃんを、よくここまで再現できたと思う。今は亡き岸田今日子はやはりすばらしい。宇多田のエンディング曲も良い。
最後に…及川光博はやはり決定的に軍服が似合わない。お願いだからもうやめて。