3.《ネタバレ》 本作は恐らく意図的にキャラクターに多くを語らせず、ちょっとした役者の仕草やセリフのニュアンスで、心情を描写しているので、本作の私のレビューは"私が思った"ことです。場合によっては監督の意図をまるで理解できていない駄文かも知れない事をお許し下さい。
一つ言えるのは只の若者たちのモラトリアムを描いた青春映画では無いということです。気球バカ一代のような男、村上さんの周りには沢山気球クラブの仲間たちがいる。気球を飛ばした後は打ち上げをして、ある時は屋上にバルーンを広げて飲み会をして、笑い合って……、と全うな青春を謳歌している様に一見は思うのですが、どうもおかしい。
何度か挿入される二郎とみどりが気球クラブの部室(?)を訪れ、村上さんのゴヤの『巨人』の様な気球を飛ばすという夢を聞くシーン、彼らは「なんか、スゴイっすね」「こんなんが飛ぶなんてスゴイですねー!」と答えるが、どう聞いても村上さんの夢に同調しているようには思えない。飲み会シーンでの彼らはあんなにも楽しげなのに。
挙句に社会人になった彼らは、村上さんの死を知った後、追悼と称した飲み会を催し、最後には巨人の目玉になる筈だった気球を燃やそうとする。つまり彼らにとって気球とはモラトリアムの一部に過ぎない。いずれは社会に出る前に卒業していく通過点に過ぎないのだ。
それに対して村上さんは気球しかない男である。彼は「夢の無い人生なんてクソだ、そのクソにへばりついている奴はもっとクソだ」と言います。彼は空で美津子にプロポーズするが、彼女は「地上で渡してほしいな」と応じるが、それに彼は「気球日和で気持ちいいね!」とはぐらかして終わってしまう。美津子からすると、「地上に降りて(気球から降りて夢を捨てて)私を見て欲しい」という気持ちだったのだろうが、気球しか人生にない彼はその決断を選べなかった。この映画はそんな村上さんの生き方に関して明確に良い悪いの分別をしていない。しかし社会人になったクラブのメンバーたちが空に浮かぶ気球を羨ましげに眺めるカットは実に印象的です。やはり監督は何があっても夢を捨てられない人間を理想の存在として見ているのではないかと感じました。