13.《ネタバレ》 青春の「その後」といっても、続きではなく終りの話であった訳ですね。
気球クラブ「うわの空」にて、情熱を抱いて気球を飛ばしているのはクラブの創設者である村上しかいない。
その他のメンバーは、主人公の二郎を含めて「本当は、気球なんかどうだって良い」と考えているような奴ばかり。
序盤は、この設定に対し(それって、村上以外のメンバーは楽しいの?)と疑問を抱いてしまい、今一つ映画に入り込めずにいたのですが「花見」という喩えが出てきた場面で、ようやく納得する事が出来ました。
頭上に美しい桜が咲いていても、集まった連中は殆ど見ていない。
ただ酒を飲んで、騒ぐ口実が欲しいだけ。
気球を飛ばす事に「夢」を見出している村上の存在は、酒の肴であり、宴の名目であり、単なるシンボル以外の何物でもなかったのだなと、微かな寂しさと共に理解させられました。
「気球クラブの部屋に一人でいる時に、誰かが入って来て、こう言うの」
「なんだ、まだ誰も来てないのって……私がいるじゃん」
という台詞なんかは、凄く印象深かったです。
クラブのメンバーが求めるのは「個人」ではなく「集団」であった事が窺えるのですが、それよりも何よりも、単純に発言者の女性が可哀想で仕方ない。
そういう場合は、せめて「他の皆は来ていないの?」と言ってあげたいものですね。
村上の死を契機に、気球クラブのメンバーは再び集まって、昔のように気球の中で、最後の宴会を開く事になる。
そこで「もう二度と会わないから」と、互いの携帯番号やメールアドレスを抹消する訳ですが、それが非常に爽やかに、明るく描かれているのも驚き。
けれど、その明るさは決して前向きなものではなくて、どこか後ろ向きであるように感じられるのです。
この映画の主人公が、夢追い人の村上ではなく、傍観者の二郎である点も含め、伝えたかったテーマとしては「夢を抱き、追い続ける事の素晴らしさ」ではなく「夢を抱かない人間の虚しさ、夢を諦めてしまった人間の切なさ」であるのかな、と思わされました。
その後の「ボクは社会人の振りをして生きるのがうまくなった」という独白。
忙しない日常の中で、空飛ぶ気球を見つめて、淡い笑みを浮かべる登場人物達の姿。
ここで終わっていれば「爽やかな青春映画」と評する事も出来たのですが、そうさせてくれない辺りが、園子温監督。
時間軸を巻き戻して「村上と、彼の恋人である美津子が、気球クラブを作った頃の話」を描き、映画に深みと苦みを与えてくれているのですよね。
このエピローグによって「誰が電話しても繋がらなかった美津子が、二郎の恋人からの電話は受けた理由」が明かされる形となっており、それには感心させられたのですが、最後の最後で「村上が風船に託した手紙の中身」を明らかにしなかった事は、大いに不満。
こういった謎を残す形の方が、余韻が生まれて良くなる場合もあるのは分かりますが、完璧に謎のまま終わらせた訳ではなく「主人公の二郎は手紙を読んだのに、観客に内容は明かさないまま」というのが、何とも意地悪に思えたのですよね。
それなら手紙を拾っても開封しないまま、秘密は秘密のままで、再び空に浮かべてあげる形にして欲しかったなぁ、と。
仕方ないので、以下は自分なりの推理。
気球で二人きり、空を飛びながら村上に求婚された際「地上で、これ(指輪)を渡して欲しい」と応えた美津子の台詞からは「もっと地に足を付けて、立派な社会人となってから求婚して欲しい」というメッセージが窺えます。
そんな美津子の提案を、村上は受け入れられず、地上で指輪を渡す事は出来ないままで、二人は別れてしまいました。
そして「僕の気持ちは変わらない」という村上の台詞。
別れた後でさえも村上が「手紙の中身」を明かせなかった理由。
二郎が手紙を読んだ際の、全く驚きが窺えない表情。
他の誰にも内容を明かさず、再び手紙を空に浮かべるという選択。
以上の判断材料からするに、そこに書かれていたのは「既に皆が知っている事」「今更明かす必要も無い事」であったと考えられます。
つまり、手紙の内容とは「いつか空の上でプロポーズさせて下さい」だったのではないか、と推測する次第です。