2.「映画化」のインフォメーションに際し、最も眉をひそめたポイントは、“田宮良子”を演じるのが深津絵里だということだった。
深津絵里は大好きな女優の一人だ。ただ、原作漫画において殆ど主人公の一人と言っても過言ではないキーパーソンである寄生生物“田宮良子”の文字通り「異質」なキャラクター性と、これまで深津絵里という女優が演じてきた多くのキャラクターとのイメージが、全く合致しなかった。
原作漫画の“信奉者”故の過剰な拒絶反応が、そもそも「映画化」という報にあった上に、その主要キャラクターにおけるイメージの乖離が、この映画を遠のかせた大きな要因だったと思う。
しかし、鑑賞後、結果的には、まさに手のひらを返すようにこの映画作品を称えたくなった。
その最大の要因も、深津絵里演じる“田宮良子”だった。
原作漫画に登場するキャラクターとは、やはり風貌も雰囲気も異なっていたけれど、深津絵里の“田宮良子”は素晴らしかった。
原作漫画のハイライトである“田宮良子”の最期のシーンが、映画化においても当然肝になると思っていたが、このシーンがほぼ完璧で、原作同様に泣いてしまった。正直、もうそれだけで、この映画化の価値は揺るがないと言っていい。
“田宮良子”の独壇場であるこのシーンで、深津絵里は、確固たるキャリアに裏打ちされた女優力で、見事にアプローチし、表現しきっている。
深津絵里に限らず、出演する俳優陣の演技がみな安定しているからこそ、諸々の改変点も許容の範疇に収まったのだと思える。
無論、改変点に対する違和感や拒否感が無くなることはないけれど、演者の演技に「説得力」が備わっているので、「これはこれでありだな」と思えたところも多かった。
“田宮良子”が「人間の真似をして笑ってみた」シーンは、原作においても印象的な場面だが、その“真似ごと”のきっかけを映画では「嘲笑」から「慈愛」に変えている。
原作通りのキャラクター表現であれば、この改変は完全に「改悪」と断罪すべきところだったが、映画のキャラクター設定と深津絵里の演技プランが、原作キャラに対して一歩踏み込んだものになっているので、原作とは別の感動を生み出していた。
また、前述の“田宮良子の最期”と、同じくハイライトの一つである“広川の最期”を並行して描いた点は、映画製作における「予算」「尺」など諸々の制約を超えていくための巧い改変だったと思う。
期待を超えた出来栄えに対する、原作ファンならではの「補完」も大いにあったのかもしれない。
が、鑑賞後確かな「満足感」を携えて、すぐさま自室の本棚に並ぶ原作全巻を読み直させたのだから、大成功の「映画化」であったことは認めざるを得ない。