1.《ネタバレ》 「何だったのだろうか」
という一言が、エンドロールが流れ始めた瞬間に大きな疑問符と共に脳裏を埋め尽くす。正直なところ、正確な理解は追いつかなかったし、良い映画だったのかどうかの判別すらも、その時点ではつかなかった。
鑑賞から1日以上だった現時点においても、その心境に大きな変化はなく、「困惑」の域を抜け出せてはない。
ただ、その「困惑」を覚えることは、本作の鑑賞体験において極めて正しいことだったと思う。
年を食った二人の男が織りなすとても可笑しくて、笑えないお話。
何もない、何も変わらないことに対する終わりのない閉塞感が、突如としてある“衝動”を生む。
周りの人間たちから見ると、それはあまりに突然の変化に見え、とてもじゃないが理解が追いつかない。特に、前日まで楽しく時間を共有していたと信じていた“親友”にとっては、あまりに理不尽で悲劇的な“心変わり”であったろう。
前述の通り、鑑賞者として主人公二人がその奥底に孕んでいる心情の正体を正確には理解できていない。でも、薄っすらと見え隠れする心の機微は何となく感じ取れる。
それが、アイルランドの内戦下でありながらまるで蚊帳の外な環境的な疎外感によるものか、そんな環境で凡庸な人生を終えようとする老齢の焦りなのか、はたまた長年の親友への友情を越えた感情に対する困惑からなのか、いずれにしてもその理由を他人が断定することはできないし、する必要もないだろう。
感情の理由も正体も、それは彼らだけのものだ。
自分自身、40歳を越えた頃から心の中に小さな点のような“焦燥感”が生まれ、それが徐々に大きくなっていることを感じている。
それが、今後の人生観に少なからず影響を及ぼしていることも否定できない。
そう、世界の果てのようなアイルランドの孤島でなくとも、本作で描き出された焦燥や衝動や狂気は、世界中の誰しもが実は孕んでいる感情なのだと思う。
本作の最後、コリン・ファレル演じる主人公は、変わらない、終わらない現実を理解し、受け入れ、改めて親友と向き合う。
数日間の小さく静かな“内戦”により、二人はそれぞれ決して小さくないものを失ったが、改めて人間として付き合い続ける覚悟が生まれているように見えた。
果たして彼らがまた親友に戻れたかどうかは不明だけれど、14時の時報が鳴る頃にはパブでビールを酌み交わしている姿をせめて想像したい。