1.ポーカーフェイスの主人公。彼の冷静な表情を映し出した後、その静かな目線の先に意外な“事”が起きている。
その特徴的な演出が作中幾度か挟み込まれていて、それは、この映画において終始“胸騒ぎ”を覚える要因となった。
“胸騒ぎ”を最後まで拭いされない映画だったが、言いようも無い居心地の良さも同時に感じる。この映画は、そういうとても奇妙な映画だったと思う。
ストーリーは極めてシンプルだ。
自動車の修理工であり、映画のカースタントマンであり、犯罪の“逃し屋”を裏家業とする孤独な主人公が、或る人妻に恋をして、刑務所帰りの彼女の夫のトラブルに巻き込まれ、ギャングと対峙する羽目になるという。
シンプルというよりも、映画のメインストーリーとするにはあまりに陳腐なプロットと言える。
しかし、この奇妙な映画の“売り”は、そんな陳腐なストーリーそのものではない。
本名も含めて、その素性が結局最後まで明らかにされない謎に満ちた主人公の男。
彼の抱えた心の「闇」、そしてそんな彼に訪れた一寸の幸福の邂逅。
斜陽に照らされたアスファルトを走り出す描写に溢れた一瞬の輝き、それこそがこの映画の文字通りのハイライトであり、その限られたシーンに個々人の思いを込められるかどうかで、この映画の賛否は大いに揺らぐように思う。
主人公が経てきた人生を映し出す描写はまったくない。
しかし、この男は、過去においてすでに人生における「最悪」を経験してしまっているのだろう。
この映画で描き出される主人公の孤独と激情には、それを物語る記憶の断片が垣間見えたように思えた。
彼が、この映画で描かれる物語の先を生き抜いたのかどうかなんてことは、もはや関係ない。
彼は、「最悪」の闇の中で、突如として僅かな“輝き”を見られた。
この映画が描き出したかったことは、ただそれだけだったのではないかと思う。
インフォメーションには、「疾走する純愛」と記されてあった。そのコピー自体は間違ってはいないと思う。
しかし、決して浅はかなカップル向け映画などではない。
隣の席の人間のことを気にすることなく、座席の手すりにでもしっかり掴まっていなければならない。
でなければ、きっと振り落とされて、怪我をする。