2.《ネタバレ》 人は自分の今までの経験を通して、あらゆる物や人を、自分の常識や理解の範疇に押し込める事で型にはめて、自分なりの善悪の基準で無意識の内に物や人を裁いている。
それは映画であっても同じで、今観ている映画を、自分の知識や今までの映画体験を通して、ジャンルを分け、筋道を考え、結末を考え、物語の意図を監督の意図を知ろうとする。
そうして理解しようとしなければ、理解が出来なければ、気持ちが悪いから。自分の器に、物や相手をはめなければ怖いから。
ラストの接見室の場面。重盛は観客も予想したであろう、三隅の意図(自分が犯行を否認する事で、咲江への言及を免れ、彼女を苦しめずに済む)を彼に投げかける。重盛は自分の器に三隅をはめようとし、若しくは自分が三隅の器にはまろうとし、同一化しようとする。それは視覚的にも提示され、それまで徐々に境界を薄めていっていた鏡面は完全に姿を消す。そして二人が重なり合う寸前、また二人は離れる。
観客も重盛も三隅の真意(そもそも思いがあったのかすら)も、犯行の真実も犯人も知ることは出来なかった。
確かな事は、司法制度という器に無理矢理はめこまれて、”死刑になった三隅”という人物がいる事実。
三隅は理解も共感も寄せ付けない。
この映画は、観客が安易な物語の枠組みにはめる事も、偏狭な物差しで裁く事も、観客にとって都合のいい真実を捏造する事も、特権的な視点を持つ事も許さない。
これほど挑発的な是枝作品は始めて観た。