2.最初の1/3は意味不明でしたが、そこからは、けっこう面白く見ることができました。、、、でも日本の映画が、みんなこんな映画になったら、映画は博物館とか国立劇場とかで、能や歌舞伎を見るみたいになっちゃいますね。、、、、だから監督も、たまに、好きなようにこういう映画を撮るのはいいけど、いつもこんな映画撮っていたら、それこそ自分の首を絞めるようなもので、莫迦のそしりをまぬかれないでしょう。、、、、、多くの人が、低い点数をつけるのは当然のことだと思います。、、、、、、とはいいつつも、最初にも書いたとおり、そこそこ自分的には楽しめました。、、、、、最後のシーンなんて、殆どツァラトゥストラが山から降りてゆくところみたいで、大風呂敷、そのくせ子連れ狼風のシルエットなので、笑っちゃいました。、、、、、車のフロントグラスを写すシーンが三度ほどありましたが、映画全体の構図を象徴しているように思えました。二人の顔に意識を集中するとグラスに映った木々と空が消え、木々と空に集中すると人の顔が消え、、、、、、要するに、図と地の関係です。カリスマという木をめぐる対立も同じ。カリスマを生かそうとする側、殺そうとする側、どちらが狂気でどちらが正気なのかわからない。片方を狂気とすれば、片方は正気となり、逆もまた真実。その辺はフーコーとかを思い出せば良いわけです。、、、そこで役所広司は、「両方を生かす道はないのかなぁ」と問う。、、、、だが、両方を生かすということは、どちらかを狂気と決めつけて回転している日常を破壊する力を秘めている。あるいはそれは聖なるものを復活させることを意味する。(カリスマという言葉自体、聖なるものとの連関を予想させます)、、、その力を秘めた役所広司は、最後に山を降り、下界に向かい、人々を解放する。、、、、、とか解釈しましたが、どうでしょう。、、、、、まあ、こういう映画は、好きに解釈して楽しめばいいのです。(どんな映画もそうかもしれませんが、、、、)