4.《ネタバレ》 東宝の「ゴジラ」シリーズは大好きで、1954年の第一作目をはじめとしてその殆どの作品を観てきた。
それを踏まえた上で、敢えて言っておかなければならないことは、この日本映画史に残る特撮映画シリーズは、その殆どの作品が「駄作」であるということだ。「ゴジラ」シリーズ全28作品中、「良い映画」だと呼べる作品は、本当に一握りしかない。
そんな中で、第27作目である本作は、意外に良い映画だと思っている。
「ゴジラ」シリーズにおける“良い映画”に共通する特色が一つある。それは、"ゴジラ”と対峙する(闘う)のが、「人間」であるということ。
「駄作」と断言できるゴジラ映画の多くは、ゴジラが登場し、そしてまた別の巨大怪獣が登場し、両者の対決ばかりを延々と繰り返す。
必然的にそこには人間ドラマなどなく、ストーリー性なんてあってないようなものになっている。当然ながら、映画として面白いわけがない。
娯楽映画であろうと、特撮映画であろうと、そこに確固とした人間模様が描かれるからこそ、観客は感情移入し、より一層にエンターテイメント性が際立つものだと思う。
そういった「ゴジラ映画」である前に「映画」として不可欠な要素を、本作はきちんと組み込んでいる。
人間が対ゴジラ用の最終兵器として生み出した“メカゴジラ”=「機龍」の整備士を主人公に配し、人間とマシーンの狭間に生まれる思いを軸に展開するストーリー性は、これまでのゴジラ映画にはない新しさだったと思う。
だからと言って、ストーリーの完成度が高いなんてことはないのだが、少なくともストーリー展開に整合性はあり、白けるようなことはない。
注文をつけるとすれば、成虫・幼虫(双子)と大サービスで登場する“モスラ”の存在性はあまりに無意味だったと思う。
モスラと、この怪獣とセットの“小美人”の存在のせいで、リアリティが大いに損なわれたと思う。(まあ、ゴジラ映画にリアリティなど求めること自体がナンセンスかもしれないが……)
あともう少しキャスティング力にパワーがあれば、更に人間ドラマが際立ったのになあとも思う。
エンドロール後の“バイオハザード”的な更なる続編への煽りも個人的には大好きで、次作にも期待したのだけれど、続いて公開された最終作は、本作とは全く繋がりのない超絶駄作となってしまったことは有名な話。