1.《ネタバレ》 冒頭、リュック背負って吉祥寺や井の頭公園をさまよう永野芽郁に、これは『PARKS』のアザーサイドストーリーか?みたいに思っちゃいましたが、彼女、短期間にいっぱい出てますね。っていうか、そんな彼女が気になったのでこの映画を見に行った訳ですが。
少女マンガ原作であるがゆえの、見てるこっちが恥ずかしくなるわ!ってエピソードの数々は、まあ仕方ありません。元々若いお嬢様方のために作られている映画な訳で、ほんの1秒だっておっさんのためになんか作られちゃいないのですから、そこに文句言ったって、そりゃお門違い。原作のエピソードをそのままなぞっているのか、いちいち東京を離れる展開が映画をせわしないものにしていて、少しエピソード整理したらどうなの?とは思いましたが。
問題はこの映画、基本的な部分で大きなミスを犯してないか?って点。
「青春映画なんだから、画面は明るくキラキラしてなくっちゃ!」とでも言いたげな、全編ハイキーな状態で撮られた画。ところが、そのハイキーっぷりが災いして、ヒロインの顔がフラットで白飛びしがち。永野芽郁って人の色白っぷりがハンパないがゆえにそういう事になっちゃってるのだと思うのですが、ならば、彼女の顔を基準として全ての映像の設計をしましょうよ、と。
女優の映画なわけですよ、これ。風景とか背景の装置とかに凝ってみせてるわけですが、それはあくまでヒロインを惹き立てるための道具である筈で、そっちに合わせてヒロインの顔がぺったりしちゃったらダメでしょ。陰影も明確に作れていないカットばかりで、いや、それが永野芽郁の顔の正しい捉え方じゃないでしょう?と。
あまりに映画全編明る過ぎなので「109シネマズ二子玉川、光量サービスし過ぎか?」とか思いましたが、エンドロールに出てくるスチールの色調やコントラストは適正な感じなので、やっぱり本編ハイキー過ぎだと。
あと、ヘアとかメイクとかのお仕事ぶりも、もう少し頑張りましょう、って感じなのかなぁ。どうも「そうじゃない」って思いが全編につきまとってしまって。自分の中で『PARKS』が永野芽郁って女優さんのイメージの基準になっちゃったのかも。『帝一の國』での彼女はオマケみたいな扱いだったので、今一つ印象に残りづらかったですし。
自分のこのテの映画での評価基準は女優をいかにキレイに撮っているかが最大ポイントになってる気がします、って次はもうすぐ『ピーチガール』が公開だってえ?