57.《ネタバレ》 本シリーズのもともとの脚本家リー・ワネルが脚本を手掛けていないⅣから本シリーズの質がだいぶ落ちてきたという印象を持つ。
Ⅳもイマイチだったが、Ⅴも何をしたかったのかがさっぱり分からないものとなっている。
「ホフマン刑事VSストラムFBI捜査官の対決」「後継者誕生の瞬間」「5人の男女によるゲーム」がメインとなっているが、どれもこれも中途半端な仕上がりだ。
「ホフマン刑事VSストラムFBI捜査官の対決」に関しては、盛り上がりなど、何も描かれていない。
こういうものは、犯人が追いつめられてこそ、盛り上がるものではないか。
追いつめているようで、逆に追いつめられている。
追いつめられているようで、逆に追いつめている。
このようなハイレベルのバトルを期待するのは無理だった。
携帯一つと写真だけでFBIがワナに嵌まり、ミエミエの策略に引っかかるFBI捜査官には呆れ果てるだけだ。
驚きも何も感じられない決着であり、あれがオチといえるのだろうか。
「後継者誕生の瞬間」に関しても、杜撰な内容といえる。
犯人が釈放後に殺された際に、この映画の世界では家族が疑われないらしい。
あまり細かい部分に突っ込んでも仕方がないので、この部分は目をつぶれるとしても、後継者があまりにも知的ではなく、カリスマ性がないのは気になるところだ。
もっと華のある後継者が登場しないと、本シリーズが続かなくなってしまう。
「殺人」と「更生」の違いを強調しておきながら、ストラムを(ゲーム性はあるものの)殺そうとしているので、ジグソウの意志は引き継がれていないようだ。
後継者を何人も誕生させておきながら、その後継者には資格がないとの理由を付けて、どんどんと後継者を殺すことによって、本シリーズを続けさせるつもりだろうか。
「5人の男女によるゲーム」は、それぞれが分担することによって、それぞれが責任を持たない放火殺人を行ったことに対するゲームのようだ。
だからこそ、協力して生き残ることを試していると思われる。
最後のゲーム以外は協力しないでおきながら、全ゲームをクリアできる途があるというのは理解に苦しむ。
最後は少なくとも三人以上いないとクリアできないようなゲームにしないともはやゲームとはいえない。
単なるショッキングシーンを描きたいだけの映画となってしまい、テーマも哲学もメッセージも何もかも見失いつつあるような気がする。