55.《ネタバレ》 結論から言うと、大好きな映画。
死ぬまで記憶される映画の一つになった事は間違いない。
スリービルボードは「怒り」をテーマにした映画だ。
その中でも、特に大きな問題を抱えているのが、
フランシス・マクドーマンド演じるミルドレッド
サム・ロックウェル演じるディクソン
ミルドレッドは娘が殺され、その事件が解決されない事、警察が思うように仕事をしてくれない事に
ディクソンは、自分が大好きな署長を貶された事、それを実行した女、加担した若者に
そして彼らが、元々何かしら人間的に問題を抱えてたのも事実だ。
ディクソンも多くは語られていないが、かなり問題のある家庭で育っているようだ。
ミルドレッドも、ディクソンも、あの事件がなくとも、常日頃からどうしようもない怒りを抱えたまま生きている。
彼らは怒りを、直情的に何かに攻撃をする事でしか発散できない。
それは人間でもあり、モノでもある。
そして、田舎町が舞台であるから、人種や性別による差別の問題も色濃く残っており、
彼らの問題には拍車がかかる。
僕は、ディクソンがいつ感情を爆発させて、直接的な攻撃に出てしまうのか、
とてもハラハラしながら鑑賞していた。
案の定、広告社の若者に過剰な暴力を振るってしまう。
その結果は目に見えている。彼の同僚や上司も冷めた目線で彼を見る。
しかし、彼はいずれそのキれやすい性格のせいで、いつかは同じ運命を辿っていただろう。
感情に任せてあんな事をしなければ、と後から後悔する事になる。
だが、彼には救いがもたらされるのだ。
そしてミルドレッドにも。
物語の中盤、自殺したビル署長から手紙が送られてくる。
それを読んで彼は自分の中の良心に気付きはじめる。
ビル署長は、この映画では徹底して聖人君主だ。
僕が思うに、それは彼に死期がせまっていたからだと思う。
死ぬ時期が明確にわかれば人は変わる。
もし彼が末期癌ではなかったら、彼にも人間の悪の側面が残っていたのではないか。
彼の手紙がきっかけでミルドレッドもディクソンも少しずつ変わってゆく。
やけどを負って入院したディクソンは、同室のレッドに「すまない、悪かった」と謝罪を述べる。
映画を観てる人間は、そこでレッドがディクソンに対してどんな反応をするのか、ハラハラするだろう。
しかしレッドは彼にジュースを差し出すのだ。
僕はこの場面で涙が出た。
病気になったビル署長、怪我を負ったディクソンとレッド
単純に考えると、人間は弱くなってしまうと人に優しく出来るのかもしれない。
ミルドレッドもレストランで元夫と出会い、嫌味を言われる。
彼女はワインボトルを手に取り元夫がいるテーブルに向かう。
ここでも彼女はそのボトルで殴りかかるのでは・・・?とハラハラする。
しかし彼女はそうしない。
小さな変化ではあるが、彼女も変わったのだ。
ディクソンの行動により事件は解決に向かうかと思われた。
しかし、そうはならない。
ミルドレッドとディクソンは犯人かどうかもわからない人間を殺しに旅立つ。
2人とも乗り気ではない。
事件は何も進展しない。
だが、絶対に打ち解けられないと思っていた2人が同じ車に座り、笑いながら会話をしている。
それは、物凄く大きな進歩だ。
スリービルボードは前向きな映画。
人は変われるし、理解し合えると思わせてくれる。