1.《ネタバレ》 この話は現代アートへの風刺と聞いていたが、実際にはシリア難民についての問題が透けて、その意味合いが強かった。
難民が目的地としたドイツよりも西のフランスだからこそ、罪悪感と自分たちの無力を苦笑するような空気があり、本作はそれを具体化している。
話は初めからずっと、助けを求めたり求められたり、いやむしろ、知らん顔したり知らん顔されたりの連続。ホームレスは皆クローネを要求する。そしてフランスの言葉に不自由だ。食事の時間になるとシェフが料理の説明をしているのに、聞こうとしない記者たち。世の中は心遣いのない人たちであふれている。
トゥレット症候群の男が野次をしてしまった記者会見。それを影で馬鹿にした記者の女アンと成り行きでセックスしてしまうと、後日、仕事場に現れて嫌な気分にされる。この時のひどい頭痛のようなスクラップの騒音は、若い広告屋の2人が仕掛けたひどいネット動画CMの後始末で記者会見をする時にも響いている。セックス後のコンドームの取り合いは映画史に残るシーンだ。
トゥレットの男の野次の最中、「みんな怒らないであげてくれ」と良識ある人が諫めるが、映画の終盤になって、たびたび登場していた「モンキーマン」オレグがパーティー会場に現れるパフォーマンスによってその良識は破壊される。アートだか事件だか分からなくなったその状況で、人は社会的な恥をかかされる不安から徐々に動物的な恐怖に絡めとられていく。自分のテーブルだけを守ろうとし、さらには自分の身内すらも助けられない。いよいよ女性が強姦されそうになったとき、飛びかかったひとりの老人によって勇気をもらうと今度は多勢に無勢で殴りつけ「殺して」と声すらかける。
無実の罪を着せられた少年はしつこく謝罪を要求するがクリスティアンは怒りのあまりに彼を突き飛ばしてしまい、その後助けを求める子供の声が続く。実際の呼ぶ声なのかそれとも幻なのかずっと聞こえているが、クリスティアンは助けない。後日罪悪感からもう一度謝罪しに行くが、その時にはその少年はいない。少年はどうなったのか最後まで分からない。怪我をして入院したのではないか。両親は少年をそれ以上責めたりしなかっただろうか。少年の両親はクリスティアンを責めるために姿を現したりしなかった。彼はどんな家庭に育っていたのだろう。そもそも、少年を知っている男の語る少年と、あのうるさい少年とは同じ人物だろうか。
シリア難民に対する想いと、うるさい少年に対する思いはどこか似通っている。