46.「B級モンスター映画」と呼ばれるジャンル映画を、長らく愛してきた。
僕自身が映画を観始めた1990年代は、モンスタームービーの一つの隆盛期とも言え、数多くの同ジャンル映画が生み出され、興奮と恐怖、そして酷評が渦巻いていた。
“B級モンスター映画”の不朽の名作としてもはや誉れ高い「トレマーズ」を始め、「ザ・グリード」「アナコンダ」はその代表格と言えるだろう。
ローランド・エメリッヒ版「GODZILLA ゴジラ」や「ジュラシック・パークⅢ」も優れた“B級モンスター映画”だと言って間違いない。
そして90年代のモンスター映画として忘れてはならないのが、1999年の「ディープ・ブルー」だ。
“人喰いザメ”を描いた映画といえば、勿論その筆頭に挙げざるを得ないのは、スティーヴン・スピルバーグの「ジョーズ」だろう。
しかしながら、“B級モンスター映画”のジャンルに限った上での“サメ映画”と言えば、スピルバーグ御大の名作を差し置いて「ディープ・ブルー」を思い浮かべる映画ファンはとても多いだろう。
生体実験によって生み出された巨大で利口なサメたちが、凶暴に、そして知性的に、実験施設の人間たちを襲う。
アクション映画の雄、レニー・ハーリン監督が描き出したこのサメ映画は、映像的な迫力もさることながら、誰がどの順番で死亡するか予測不可能で、その破天荒なストーリーラインが魅力的なモンスター映画の名作だった。
そして本作は、その「ディープ・ブルー」のテイストを多分に孕んだ、良い意味でも悪い意味でも、「B級モンスター映画」と呼ぶに相応しい娯楽映画として仕上がっている。
未知の海溝探査を行う海洋研究施設を舞台にし、太古の巨大鮫“メガロドン”が施設の人間たちに襲いかかるというプロットは、「ディープ・ブルー」ととても似通っており、主人公がいざとなったら自ら海中に飛び込み巨大鮫と直接対峙する“筋肉バカ”であるところも共通している。
ただし、この映画において最も注意すべき要素は、その“筋肉バカ”の主人公を演じるのが、我らがジェイソン・ステイサムであるということだ。
この要素を正確に捉えて鑑賞できているかどうかで、鑑賞後の満足感は大いに変わってしまうと思う。
この映画は、“B級モンスター映画(サメ映画)”であると同時に、紛れもない“ジェイソン・ステイサム映画”である。
詰まるところ何が言いたいかというと、いくら規格外の巨大鮫が襲ってこようが、海中で絶体絶命の一騎打ちになろうが、ジェイソン・ステイサム演じる筋骨隆々の主人公が死亡するということは絶対に無い。ということ。
この映画の主人公は、「無理やり連れてこられた」的なことを言いはするが、端から自分自身をより危険な状況に追い込んでおり、最終的には“メガロドン”との「対決」を一人楽しんでいるフシすらある。
それは普通のモンスター映画の主人公であれば鼻白むキャラクター設定だろうけれど、演じるのがジェイソン・ステイサムであるのならば、話は全く別。
クライマックスにかけてどんどんと馬鹿っぽくなる映画全体のテンションは、“ジェイソン・ステイサム映画”として極めて真っ当で、良い。
最終的な“決着シーン”では、非現実的すぎて大笑いしてしまったことも、ステイサム映画ならではだろう。
と、当代随一のアクション映画俳優のスター性に溜飲を下げる一方で、“B級モンスター映画”としてはもう一つ振り切れていないことは否めない。
せっかく巨費を投じた大作映画なのだから、もっとビジュアル的に大胆な“画”があってしかるべきだったろうし、古代鮫の規格外の巨大感も今ひとつ表現しきれていなかった。
またジェイソン・ステイサムの脇を固める俳優陣も、大富豪役のレイン・ウィルソン、リーダー役のクリフ・カーティスと味のあるキャスティングができていたので、新鮮な人物描写や、小気味いいストーリーテリングがあれば、もっと面白味は深まったろうと思う。
“サメ映画”のジャンルの深層には、「Z級映画」と呼ばれる更に常軌を逸したモンスタームービーがおびただしい群れをなしているとも聞く。その中では本作で登場した“メガロドン”などはもはや使い古されたネタらしい。
僕はまだおっかなくてその世界に足を踏み入れていないのだけれど、これを機にちょっとその深い海の底を覗いてみようかと思う。