6.正月などに親族で集まると、決まって、もう何年も前に亡くなった祖母の話題になる。
孫から見ても、なかなかパワフルな人だったので、エピソードには事欠かないのだけれど、このところは特に、戦中戦後のあの時代に、農家の嫁として苦労したであろう話を、父や伯母連中からよく聞かされる。
祖母は農家に嫁ぎ、子を授かったが、生まれたのは3人続けて女子だった。
「時代」と「環境」を踏まえると、肩身が狭かったことは明らかで、あらゆる角度からあらぬ非難も受け続けただろう。
4人目でようやく長男(父)が生まれたことによる祖母の喜びというよりも、「安堵」は想像に難くない。
ものすごく理不尽で、愚かしいことだけれど、当時の女性にとって、特に“嫁”として嫁いだ女性にとって、“跡取り”を生むことは「義務」であり、社会にとっても、女性本人にとっても、その価値観の絶対性は揺るがないものだったのだと思う。
現代の価値観で、当時のその“常識”を非難することは容易だけれど、それこそ、「時代」も「環境」も異なる“ものさし”で推し量ったところであまり意味はない。
ただ唯一確かなことは、“農家の暗い納屋の片隅”で、“小さな借家の狭い炊事場の片隅”で、いくつもの世界の片隅で、涙を流し続け、それでも生き抜いた「彼女」たちの人生の上に、僕たちは生かされているということ。
映画の中の“すずさん”も、その「時代」に嫁いだ女性の一人として、自分の中にも知らず識らずの内に根付き、蔓延っていた“常識”にぶつかり、思い、悩む。
生来の呑気な性格も手伝って、ゆらゆらと風の吹くまま気の向くまま生きてきた彼女だったけれど、“リン”という一人の女性との邂逅を通じて、自らの女性としての存在意義に対して目を向けざるを得なくなる。
そこには、疑念や嫉妬や怒りを含んだ感情も渦巻くけれど、喜びや慈しみも生まれ、一人の女性として人生を深めていく様がありありと映し出されていた。
「この世界に居場所はそうそう無うならせんよ」
と、遊女のリンは、すずに語りかける。
人は誰だってこの世界で必要な存在であろうし、たとえどんなに辛くても人は“生き続けるための場所”しか与えられていない。
友に対する“優しさ”も、自身の生い立ちを踏まえた“厳しさ”も、等しく含んだこの台詞は、彼女たちの人生の機微を雄弁に物語り、深く深く、心に染み入ってきた。
この映画は、「この世界の片隅に」で意図的に“間引かれていた”エピソードを追加し、前作の「行間」に在った感情を紡ぎ直した「新作」である。
「この世界の片隅に」は“完璧な映画”だった。
そして、この「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」は“また別の完璧な映画”だった。
人間が人間らしく、ただ「生活」を営むということの、強さと、儚さと、眩さ。
それはあまりにも普遍的な輝きだからこそ、強引に奪われたことによる闇はより一層に深まり、傷つく。
悲しかったでしょう、悔しかったでしょう、怖かったでしょう、痛かったでしょう、辛かったでしょう。
でも、それでも、泣いて、怒って、笑って、「貴女」が生き続けてくれたから、僕たちは“今”生きている。
そのすべてをひっくるめたこの映画の高らかな愛しさに、また涙が止まらない。