88.《ネタバレ》 SF大好物な私であるが、「オデッセイ」に関しては、ズバリ、私とは相性が悪い。この主人公の、取り残されたことが分かったときの落ち着きっぷりが、どうしようもないのである。
宇宙飛行士たるもの、いかなる非常事態にも冷静さを保てる強靭なハートを持つものであることは重々承知。
NASAの宇宙飛行士の訓練の9割が非常事態に対応する訓練だということも承知。
だが、何が起きても数秒間だけオーマイガッなポーズをとってみせた後からのただちに解決策をシュクシュクと行う場面も、何度も繰り返されるばかりでは、ワンパターンで単調なのである。
火星で穴があいた宇宙服のヘルメットの前面をガムテをペタっとはるだけで修理完了!とか
吹っ飛んだ小屋(アレは何という名前でしたっけ)も巨大なビニールシートをガムテをペタっとはるだけで修理完了!とか
「火星ってそんなにガムテだけで生きていける場所なのだろうか?」と、そのあたりのイージー感も没入感がそがれた理由だ。
宇宙に一人取り残されるというテーマでは「月に囚われた男」が傑作なのだが、主人公は企業の社員であって、宇宙飛行士ほどの訓練は受けていないしメンタルも弱いという相違点はあれ、「オデッセイ」と比べたら”ひとりだけ取り残されたもののココロ”がヒリヒリするほど伝わってくる。
(地球との交信もリアルタイムではなかったり、そもそも地球に帰還させてもらえる前提すらないところも、ヒリヒリポイントだ。)
ならば「オデッセイ」はサバイバルに徹した作品として優良かといえば、よくよく考えれば、帰還計画についてはNASAの陣営のほうが尽力しているところが多く、実際NASA関係者がアーダコーダと話し合っている場面が、ダラダラするくらい長い。
「主人公が全然出てこないよ!」っていう場面が長すぎて、これはNASAのキャラが主人公なのではと思うくらいである。
かといって、たとえば「アルマゲドン」に登場するNASA陣営のビリーボブ・ソートンのような、個性がきわだつキャラがいるかといえば、まったく没個性の、上司&部下の”イカニモ”な顔ぶれがワラワラ出てきてアーダコーダと三流の企業ドラマのごとき帰還計画のやりとりをしているだけなのであるから、褒めようがない。
唯一心が揺さぶられたのは、マットディモンが前半ではムキムキマッチョの肉体だったのが、後半のシャワールームから出てきた場面ではゲッソリやせほそった体になっていたという、体重の増減も自由自在な役者根性のみ。
ところでコレを書きながら今ふとすごいことに気づいちゃったのだが、SF映画において、宇宙空間で主人公のサバイバルを描く場合、その主人公は、「オデッセイ」のように宇宙飛行士のようなプロではダメなのかもしれない。
思い起こせば、「アルマゲドン」は、ただの掘削屋だった。
「月に囚われた男」は、ただの社員だった。
あの「ゼログラビティ」は、ただの博士だった。
宇宙における危機トラブルに関する豊富な知識や経験を持ち合わせていないセミプロが主人公だからこそ、何かあったときの、取り乱し方も、それを乗り越えて、解決したときの鑑賞者の感動も、ひとしおなのだ。
いずれにしても作品としてのデキがよろしくなかった「オデッセイ」の中でも一番ワケがわからなかったのは、イモの水をあげるために爆発事故起こしてまで苦労して手作りの水発生装置を使って水を作っていたのに、後半あたりでシャワールームから”水”で洗いたての濡れた頭をフツーにタオルでゴシゴシしながら出てきた場面。
だったら最初から風呂場から水もってこいよ。