4.女優の肢体が艶やかに烈しく躍動し、映画世界の内外で見ている者を“虜”にする。
“ハニートラップ”を極めたスパイを描くにあたり、今のハリウッドで“彼女”以上に相応しい女優は思い浮かばない。
即ちこの映画は、“ジェニファー・ローレンス”という名の現在のハリウッドが誇る映画的芸術、映画的娯楽を堪能すべき一作だ。「辛抱たまらない」とはまさにこのことである。
「冷戦」の空気感が色濃く残る時代に暗躍する“女スパイ”を描いた映画というと、昨年(2017年)の「アトミック・ブロンド」の鮮烈が記憶に新しい。
シャーリーズ・セロンが圧倒的な女優力で主演を務めた「アトミック・ブロンド」と、今作はあらゆる面で類似している。しかし、その類似性と、だからこそ際立つ独自性が興味深く、両作はある意味「対」となる“女スパイ映画”だと思う。
シャーリーズ・セロンがぐうの音も出ないアクション性と美貌で、映画世界を「支配」したのに対し、今作のジェニファー・ローレンスも全く別の「支配力」で魅せる。
かの“大国”同士の水面下での血で血を洗う鬩ぎ合いの中では、「正義」という言葉は意味を成さない。その見紛うことなき“修羅場”を「女」という唯一無二の武器一つで越えていく。
彼女が進みゆく道には、浅はかなフェミニズムなど無論存在せず、人道的な道理すら存在しない。ただひたすらに、その与えられた武器のみで死屍累々を超えていくしか、彼女に許された道は無かった。
文字通り体を張り、文字通り丸裸にされる全く新しい女スパイ像を、ジェニファー・ローレンスがこれまた圧倒的な女優力で、“惜しみなく”魅せてくれる。
この1990年生まれのまだまだ若い女優が、トップ・オブ・トップになり得ているのは、その“惜しみなさ”故だ。
この女優は、常に自分がその時にし得る「表現」に対して、出し惜しみがない。
ありふれた言い方をするならば、それは女優としての「覚悟」が群を抜いているということだと思う。
若い女優ではあるが、既に彼女は、自分がいつまでもそのままではいられないということをよく理解している。
だからこそ、今この瞬間の「美貌」を最大限に活かし得るこの役に挑んだように思える。
ストーリーテリング的に踏み込みが浅い部分は確かにある。“ハニートラップ”という要素をもっと深掘りした心理戦の妙が、具体的にストーリー上に含まれていたなら、映画的な価値は更に高まっていただろう。
しかし、そんなマイナス要因など補って余りある「女優」という娯楽性によって満足感は揺るがない。
ただ、映画として非常に面白かった反面、もろに冷戦時の危機感を引き起こすかのごとく、東西の軋轢を描く意欲作が立て続いているあたりに、映画世界を越えて、現実世界から漂ってくる“きな臭さ”を禁じ得ない。
主人公の悪しき叔父さんの造形を完全に“某大統領”に寄せていたのには、背筋が凍った。