3.《ネタバレ》 おそらく日本映画初の"スペクタクル巨編"で、以後の「釈迦」「日本誕生」等の先駆をなす。その歴史的意義は大きい。名優勢揃い、特撮、群集場面等、随所に映画の醍醐味がちりばめられていて観ていて小気味よい。特に滝の口の法難と蒙古襲来場面の特撮は美的感覚にすぐれ、何度も観たいと思わせるものがある。とはいえ内容は個性の強い日蓮の生涯を描いたもので、誰でも楽しめる"名作”とはなっていない。
修行の末、悟りを得た日蓮は「我、今日より日本の柱とならん!日本の眼目とならん」と叫ぶ。そして貧乏人や病人の世話をしたり、辻説法を行うなどの布教活動を行っていく。そこまではよいが、その思想や実現方法が過激だ。先ず現在行われている仏法はすべて邪法で、法華経以外に真の平和は得られないと強弁し、一切の念仏寺と禅寺の排除を主張する。幕府に対しても政綱の反省を促し、北条一門の同士討ちと他国の侵略を予言し、やがて日本国は亡びると威迫する。ついでに自らの法難も予見してみせる。その主義主張の正当性は、ただ経典に書いてあるの一点に尽きる。どうして彼が法華経こそが釈尊の正統な教えと信じるようになったのかが描かれていないので、法華経に疎い人には戯言にしか聞こえないだろう。このような過激な教えを唱え、強引に布教するならば、狂僧といわれ、通常なら殺されていただろう。しかし奇跡的に生きのび、ある程度彼の予言通りに時代が推移するのだから歴史は面白い。日本の歴史を見渡しても彼のような人物はそうはいない。それが彼の魅力となっている。力強いものに民衆は惹かれるのだ。
本作での日蓮の奇跡は次の三つ。竜の口の処刑時の雷。日蓮に帰依する者の病は快癒し、敵対する者は死ぬ。日蓮は戦場で調伏祈祷をして大暴風雨を起こし、海上の蒙古軍を滅ぼした。事実としては、蒙古襲来時日蓮は身延山にいて調伏祈祷はしていない。
脚本に強引なところはなく、よく練られている。日蓮を面罵し何度も殺そうとした人物が、最後は日蓮に帰依するなど人物を丁寧に描いているので好感がもてる。革命を志した奇跡の聖者か、悪運が強いだけの坊主か、観る人によって意見は分れるだろうが、この作品が映画の底力を魅せてくれることに変わりなないだろう。米国の「十戒」にひけはとらない。一度は観ておきたい作品だ。