103.《ネタバレ》 核による破壊がもたらしたその代償の大きさを感じる。
最悪の独裁者による悪政や悪業からの脱出劇だが、現代にも多々当てはまる国々があるようでオーバーラップしてしまいます。
人に必要不可欠なものを握ってしまえば民衆をコントロール出来てしまう。独裁者イモータン・ジョー自ら「水に心を奪われるな、禁断症状で生ける屍になるぞ」という言葉に監督の意図を感じる。
法もなくモラルもなにもなく正しさや正義が通用しない世界で何が通用するのか?!信念なのか勇気なのか決断なのか。しかしもっと大きな何かが動くようにも感じる。それは運なのか宿命なのか分からないが、時に人は何かに駆り立てられ無謀とも思われる行動する時がある。
普通に考えたらとても無理と感じられることも、根拠の無い自信を持って何故か無理だと思わない時が自分も生きてて何度か経験した。そしてそれはほぼ間違いなく実現している。
誰か忘れたがある歴史家が「正しさや正義は国を滅ぼし、怠惰は国を衰退させる。そして愛は国を育て救う」と言うようなことを言ってたのを思い出す。
信念や勇気や決断に愛が乗ればそれは奇跡を起こすのだろう。
イモー タンジョーの砦に戻る決心をした時、逃避ではなく現実に立ち向かう覚悟を感じた。信念や勇気、決断これらに必要不可欠なものは「覚悟」なんだと実感します。
正しさや正義の延長上に極端な現れとして「テロ」が存在するように感じる。それぞれがそれぞれの立場や価値観で「良くするため」に行動している。それぞれの正義がぶつかりそれぞれの正しさの衝突が戦争やテロだろう。
そんな思いでこの映画を観てみるととてもリアルな世界に感じてきます。
今、世界情勢は局面に来ているという見方もあるが、物も豊かになり食べ物も美味いしあと何が欲しいんだろう。分からない未来の不安に怯えているより今をより良くする生き方も見直す必要があるのでは。
今、この時にどれだけ感謝や満たされた思いを持っているだろう。
人は満たされると次が欲しくなり、達成すると次を目指し、思い描いた幸せに届くともっと違う幸せを欲しがってしまう。そんな今に生きることを忘れた現代の人びとへの警鐘とも受け取れました。
映画事態は荒涼たる果てしない砂漠の舞台でどれだけ飽きさせず、面白いものに挑戦したようにも感じる。人とマシンとバトルというシンプルな中でその世界観は正しくマッドマックスでした。それにしてもこの映画の主人公はフュリオサ大隊長でよかったのかな。マックスの存在感は役者のせいなのかあまり存在感を感じなかった。シャーリーズ セロンに完全に喰われてしまっている。