7.《ネタバレ》 流れるようなカメラワークや猿達の表情を巧みに映し出したCGの素晴らしさという切り口だけでも十分に評価されるべき作品ではあるが、私はこの映画の「人間に対する徹底した幻滅感」が最も面白いと感じた。
この映画のヒーローはシーザーという猿であり、人類は脇役に過ぎない。どうやって猿が人間に対立する種に育つのかを追った作品であり、一種の建国伝説と言うこともできる。そのため、観客はシーザーの成長やその他の猿達の覚醒を見守り、それが達成されるはずのラストに向けて彼らを応援することになる。結果的に人間と猿の両種が相争うことになるのだから、その相手方を応援するというのは何とも不思議なことであり、一見、興行的にうまく行かなさそうな演出である。しかし、これがうまく行ったのだ。アメリカでは、この作品は製作費の倍近くを稼ぐスマッシュヒットとなった。
「キングコング」は人類が異種族に対する寛容さを持つべきと問題提起した。「アバター」は人類と異種族でお互いの理解が進むことが重要と説いた。しかし、この映画はそこからもう一歩先に進んでいる。異種族である猿の側を全面的に肯定し、人類の醜さや独善性を浮き彫りにしている。この映画の中では、猿のほうが人間よりも賢いし「人道的」なのである。
この映画がヒットした理由もそこにあるのではないだろうか。この作品はテロリズムの跋扈や環境破壊の進行など、人類に対する信頼感が揺らいでいる時代をうまく捉えた。人類が人類らしさを失っていると感じている人が増えているのではないか。そういう意味で、この作品は現在の人類世界(マクロからミクロまであらゆる意味で)に満足していない多くの人に受け入れられた。
自分も猿側に立って快哉を叫んだクチだ。まあ、元祖「猿の惑星」の猿のモデルは日本人であり、日本人の僕が猿の勝利を祝っているのはアメリカ人から見たら当然かもしれないが。