166.残業帰り、遅い夕飯を食べ終わりテレビを付けると「トトロ」が放送されていた。
もうすでにクライマックスの前あたりまで差し掛かっていたので、見るともなく何気なく見始めた。
まず、こういう風に見始めることが出来る映画は少ない。
たとえ一度観たことがある映画であっても、再度観るのであれば最初から観たいし、CMが挟み込まれる民放放映の映画は基本的に観ない。それが良い映画ならば尚更だ。
ただし、「となりのトトロ」なんかになるともはやその範疇ではない。
もちろん最初からじっくり観るにこしたことは無いが、何時にどのシーンから見始めたとしても、何度も同じように感動し、また新しい面白味を発見する。
それくらいこの作品を含め、幾つかのジブリ映画の存在感は自分という人間の中に刷り込まれている。
サツキがついに感情を抑えきれなくなり泣き出してしまう時の表情のくずれ具合に涙が溢れ、
トトロの森に向かって駆け出す瞬間の周囲の声が無音になる表現に感心し、
糸井重里の「案外そうかもしれないよ。ほら」というラストの台詞のヘタウマ感に絶妙さを感じた。
一見は、老若男女楽しめるファンタジー映画という感じだけれど、この映画の持つ味わいは、もっと深いものを描き出しているように思う。
それが、古きよき日本の情景なのか、少女たちの明るさの奥に秘める力強さなのか。
きっとそれは、観る人のその時の在り方で様変わりするのだろうと思う。
ただ、その何か普遍的で価値のあるものを「トトロ」というキャラクターで包んで描き出した宮崎駿は、やはり偉大だなと思う。