7.《ネタバレ》 デヴィッド・フィンチャー監督がモノクロで、「市民ケーン」の脚本家についての伝記物語を描く。アル中の脚本家をゲイリーくんがゲロゲロに熱演。アマンダちゃんは瞳をギョロギョロ、モノクロなので余計に際立つ。時代に合わせてモノクロで、皮肉めいたコメディ調を含んでいるが、あまり入り込めず。 【獅子-平常心】さん [インターネット(字幕)] 6点(2023-08-16 07:07:31) |
6.古典的名作の誕生秘話にスポットライトを当てた人間ドラマを、作品の背景も知らず置いてけぼりを蹴飛ばしながら、途中で字幕から吹替えに変えて鑑賞… 「市民ケーン」の撮影監督の表現主義的な技法を再現したかったそうですが、確かにモノクロをはじめとする映像や音に関するいろいろなテクニックで1940年代に作られた映画感が漂います。 その名作を観ていればD・フィンチャーの思いも鮮明に伝わってくるのでしょうね。 【ProPace】さん [インターネット(吹替)] 6点(2022-02-19 21:07:05) |
5.入り込みやすい映画では決してありませんが、ところどころ「市民ケーン」のザナドゥやRosebudが蘇る。 名作が生まれる理由がちゃんとあるとわかると武者震いしてしまう。 ’40年代フィルムの質感にこだわった映像はさすが、古いセルロイド・プリントに見られるようなリール交換マークを見つけたときはウキウキしました。 【HRM36】さん [インターネット(字幕)] 6点(2021-02-23 19:01:59) |
4.《ネタバレ》 映画史に残る名作が如何にして誕生したのか。当然ながら『市民ケーン』の視聴は必須であり、'30年代のハリウッドの内幕と政治的背景を知らないと確実についていけない間口が狭すぎる映画である。一見、フィンチャーらしかぬ古風な本作であるが、描かれている内容は恐慌と選挙戦のフェイクニュースという、21世紀アメリカの民主主義の根幹を大きく揺るがす事態が現在進行で起きており、内輪話で終わらせず、その先にある映画の未来を照らし出す。本作の案内人がもう一人の"産みの親"、ハーマン・J・マンキーウィッツ。破天荒でアル中だが、メジャースタジオに属しながらも世の腐敗と権力に屈しないアウトサイダーの側面を持ち、ウィットとユーモアあふれる憎めない脚本家。メディアを牛耳る新聞王ハーストと対峙する凍り付く空気と緊張感が走る。どんなに才能があっても所詮は"オルガン弾きのサル"。権力者に生かされている皮肉に対し、彼は全てを失っても裸一貫で『市民ケーン』を書き上げ、映画史に名を残す過程に胸が熱くなった。なぜ当初の契約を破ってでもクレジットに残したのか。「世界はこのままで良いのか?」という、クリエイターの信念と矜持にフィンチャーと脚本を遺した父親の姿が重なった。ちなみにカリフォルニア州知事選に出馬・落選したアプトン・シンクレアは、21世紀の『市民ケーン』と称された『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の原作者であり、ある種の因果を感じる。 【Cinecdocke】さん [インターネット(字幕)] 8点(2020-12-24 21:17:15) (良:1票) |
★3.「ハリウッドは人を噛んで吐き捨てる」
これは、映画「エド・ウッド」の劇中で、実在の悪役俳優ベラ・ルゴシを演じたマーティン・ランドーの台詞だ。 エド・ウッドは、奇しくもオーソン・ウェルズと同時代に“史上最低監督”として悪名を馳せ、ウェルズとは対照的な立ち位置で、今もなおカルト的な人気を博している映画監督である。
ティム・バートン監督作の「エド・ウッド」は個人的なオールタイムベストの上位に長年入り続けている大好きな作品なのだが、今作を観ていて、その“悪役俳優役”の台詞を思い出さずにはいられなかった。
それは、この映画が、時代を超えて、業界や、社会や、もしくはもっと大きな“仕組み”の中で使い捨てられる人々の苦闘と反抗を描いているからに他ならない。 今、このタイミングで、今作がWeb配信主体で全世界公開された「意図」は明らかであり、現代社会に対する社会風刺的かつ政治的なメッセージも強い作品だったと思う。
まさに今の時代も、ハリウッドの内幕に留まらず、社会全体が人を噛んで吐き捨てている。
巨大な組織、社会、国家に対して、「個」の力は小さい。そして、脆弱な「個」は、この世界の傲慢さに都合よくないがしろにされ、“消費”されている。 でも、だからと言って、「会社が悪い」「社会が悪い」「国が悪い」などと、ただ愚痴を並べたところで何も好転はしない。 状況を打開するのは、いつの時代も、小さくも強かな「個」の力なのだ、と思う。
「市民ケーン」の共同脚本を担った主人公ハーマン・J・マンキーウィッツ(マンク)は、業界に対する失望とアルコール依存に押し潰されそうになりつつも、後に映画史の頂点に立つ作品の脚本を書き上げる。 それはまさしく、業界に使い捨てられた者の意地と抗いだった。
80年前の時代を懐古的な映像表現で精巧に描き出しつつも、前述の通り、そのテーマ性は極めてタイムリーな作品だった。 Netflix配信の映画らしく、忖度しない踏み込んだ表現ができたことは、デヴィッド・フィンチャーとしても監督冥利につきたことだろう。 デヴィッド・フィンチャー監督に限らず、マーティン・スコセッシやスパイク・リーなど、多くの巨匠が「Web配信」へと映画表現のフィールドを変えていっていることはある意味致し方ないことだろうと思える。 作家性が強い映画監督であればあるほど、その主戦場を「劇場公開」から「Web配信」へ移行しようとする潮流は、もはや止められないとも思う。
ただ、その一方で、今作が映画作品として完璧に「面白い!」と思える「作品力」を備えているかというと、一概にそうは言えないと思う。 その他のWeb配信映画にも総じて言えることだが、作り手の作家性やメッセージ性が強くなる半面、ともすれば独りよがりになっていたり、作品時間が長すぎるなど、小さくないマイナス要因も見え隠れする。
新作映画のWeb配信が活性化することで、映画表現の幅が広がることは、映画ファンの一人として複雑ではあるが、喜ぶべきことだろう。 しかし、何事においても、“「自由」になればなるほど「自由」ではなくなる”、という矛盾した真理を孕んでいるものだ。 「自由に作ってくれ」と言われて、喜ばない映画監督はいないと思うが、その上で、結果として万人が面白い映画を生み出すことができる映画人は相当限られるだろう。 映画表現の幅が広がるということは、同時に、これまで「制限」の中で才能を発揮してきた映画人たちの新たな資質を問われるということなのだと思う。
「映画」という表現が、その形態を変えざるを得ない時代において、この先どのように進化していくのか。 それこそ、80年前にオーソン・ウェルズが成したような「革新」が今まさに求められているのかもしれない。 【鉄腕麗人】さん [インターネット(字幕)] 7点(2020-12-13 00:25:22) (良:1票) |
2.《ネタバレ》 映画史に燦然と輝く名作『市民ケーン』。その脚本を書いたマンクこと、ハーマン・J・マンキーウィッツの半生を実話を基に描いたという本作、監督を務めるのが今やサスペンス映画界の巨匠となったデビッド・フィンチャーで、しかも主演には名優ゲーリー・オールドマンというのだから、これは観ないわけにはいきますまい。配信が開始されたばかりのネットフリックスにてさっそく鑑賞。先に結論を述べさせてもらうと、残念ながら僕は全く嵌まれませんでした。名作と名高いオーソン・ウェルズの『市民ケーン』を自分が未見だというのもあってか、最後までさっぱりピンとこなかったです。僕がフィンチャー監督の『ドラゴン・タトゥーの女』や『ゴーン・ガール』は大好きなのですが、『ソーシャル・ネットワーク』や『ゾディアック』といった実話を基にした系列の作品が個人的に苦手だというのもあるのかも知れませんね。モノクロを基調とした映像は相変わらず美しく、オールドマンの熟練の演技も大変素晴らしかったので、作品としてのクオリティは充分高いことは僕も認めるところなのですが。要は好みの問題。僕は本作の良い観客とはなれなかったようです。 【かたゆき】さん [インターネット(字幕)] 5点(2020-12-08 00:06:44) |
1.《ネタバレ》 過去最高のアメリカ映画No. 1に君臨し続ける『市民ケーン』。ハーマン・マンキーウィッツ(マンク)はいかにしてその脚本を書き上げたのか、映画のモデルとなったウィリアム・ハーストとの関係を振り返る回想シーンと並行して描かれる。自分にとって『市民ケーン』は、あまりに有名な作品のため一度は鑑賞したが、ほとんど印象には残っていない。『市民ケーン』がアメリカ映画史においてどういう位置づけにあるかくらいは知っておかないと完全に置いてけぼりになるが、その程度の知識であっても、フィンチャーの巧みな語り口でとても楽しめる。マンクを演じたゲイリー・オールドマンは、全編出ずっぱり。才能があり、信念を貫くも、ユーモアとだらしなさの融合した憎めない役がはまっている。特殊メイクで誰だかわからないチャーチルより、マンクの方がオスカーに相応しい。 【カワウソの聞耳】さん [映画館(字幕)] 8点(2020-12-02 21:38:15) (良:1票) |