13.《ネタバレ》 映画的というより絵画的、文学的ですね。音楽的でもあります。アートといってもいいかもしれません。映画的手法はいたってオーソドックスです。物語は時間の流れに沿ってそのまま構成されていますし、視点はゾーグに張り付いたきりです。凝ったカットワークもありません。それで3時間ずーっと引き込まれるというのはすごいことです。ひとつには「熱い」ということ。主演のベティーちゃんとゾーグ君はものすごく熱いですが、ピザ屋のストロンボリ氏、肉屋の奥さん、作家くずれの署長さんなど周囲の登場人物も負けずに熱い。題名どおり37.2℃はありそうです。なによりこの映画のスタッフが「熱い」思いで撮影に臨んでいるのがびしびし伝わってきます。監督の情熱がこのまれなる傑作の原動力になったのは明らかです。いまひとつは、「熱さ」と対局にある怜悧な映像。ほれぼれするような冷気に包まれ呆然と画面を眺めるしかない、そんな映像がベティーちゃんとゾーグ君の物語を塗り込めることによって、単純なストーリー展開にものすごい起伏を与えています。作者のなみなみならぬセンスを感じます。忘れるところでした。音楽も涙出ます。 【ただすけ】さん [DVD(字幕)] 10点(2006-05-01 01:06:10) |
12.まったく長さを感じませんでした。それはやはり二人の愛があまりにもストレートすぎたからかでしょうか。色んな美しさをみせてくれたこの作品、間違いなく僕の中では10点満点の作品だと思います。 【アンリ】さん [DVD(字幕)] 10点(2006-01-17 23:13:43) |
11.《ネタバレ》 これさ、男は理解できて見てるのかな? 正直、俺 最初は全然分からんかった。 いきなり同棲して、いきなり小説家にでっち上げて、仕事を辞め(させ)て、引っ越して、ピアノ屋になって、車を買って、土地を買って、強盗して、誘拐して、自殺を図って、殺人をする。 で、捕まりもしなければ追われもしないと。 ストーリーとしては、あまりに突飛すぎて必然性も整合性も感じないから共感もできない。 最初、ずーっと首をかしげてた。 「なんでこんなに評価が高いの?」、「なんで俺はこんなに入り込めないの?」と。 考えて考えて、そうか、これはそういう映画じゃないんだ、と気付いた。 誰もそんなもん見てないんだと。 女って生き物は、理性や効率や合理性とは別に、「自分だけの価値基準」ってものを持っていて、密かにそれを自分の命令系統のトップに置いている。 表に出やすいか出にくいかは個々人それぞれあるとしても、多かれ少なかれこんな感じだわな。 その「価値基準」ってのは、実は「定まった形」をしてないから、理解なんてできない。 男にとっては理不尽極まりないと思える行動も、女ってのは自分の中で消化できてしまう生き物なんだな。 男は「そういうもんだ」と覚悟して、まるごと受け止めて、ひっくるめて愛する。 それしかできないんだ、と。 そして、それを純粋に貫いた2人の物語がこの映画。 そういう映画なんだな。 。。。とかね、理詰めで唸ってる横で、この映画を薦めてくれた女性に「単純に純愛の映画だよ」と一言でバッサリ言い切られてしまった(笑) この果てしないほどの男女の距離感(笑) また、なるほどなぁと納得させられてしまった(笑) 女は感性で共鳴する。 男は考えて考えてやっとその深みに到達する。 深遠ですなぁ。 しかし、フランス映画って、独特の鑑賞作法みたいなのがあるんですかね? ハリウッド映画に慣らされた目で見ると凄く不親切に感じる(笑) こっちが積極的に制作者の意図を汲み取ってピントを合わせていかないと、ちんぷんかんぷんになりますわ(笑) さて、評価。 難しいなぁ。。。 ストーリー的には3点(笑) 深みを理解してからの評価は8点。 悩みに悩んで、7点献上。 「なるほど、それがお前達の愛し方なのだな」と。 潔さやヨシ。 だが、申し訳ないが俺は違う。 俺のはもっと下賎で愚鈍で不純で軽薄だ。 けれども、それを貫かせていただく。 そう誓った俺でした。 【とっすぃ】さん [DVD(字幕)] 7点(2005-11-29 20:47:22) (良:1票) |
10.桃の薄皮のようにやわらかい感受性で包まれた、ゴムまりのように跳ね回る激しい感情。平和な日々が続いているうちはいいとしても、破裂するのは時間の問題だったろう。半ば結末がわかっているだろうに、なんとか転げ落ちないようにバランスをとろうとするゾルグの姿が痛ましく、苦しい。 ベティの激しさには不思議と崇高さのようなものがある。フランス映画というのは無闇にベッドシーンが多いものというイメージがあるけど、今作でのそれはどうしても必要なものだったと感じた。セックスというといかがわしいイメージがつきまとうのは避けられないが、ある意味ではもっとも「純粋」に愛情を通わせる行為でもある。理性からは遠く、野生動物のように本能的にに愛し合う彼らを表すためには、性描写がどうしても必要だった。逆説的だが、過激な描写でなければ二人の「純愛」は描けなかったと思うのだ。 中心となる物語はシビアなのだが、意外とコミカルなシーンも多く、たびたび噴き出してしまった。コートみたいに壁にかけられてしまう子供とか、バカすぎる新人警備員とか。深刻すぎるとかえって不幸に酔っている空気を感じていやになるが、この映画はユーモアというスパイスを効果的に使っていた。 【no one】さん [DVD(字幕)] 7点(2005-11-27 04:04:55) |
9.完全にぶっちぎったカップル。行き過ぎた一途。報われよーない。 どうしようもない。でも誰にも助けなんて求めないし、ワカってもらいたがる普通(?)の人たちとは違う。周りなんて気にしない。平均何点だろーが僕は10点。気にしない。 【ヒロヒロ】さん 10点(2004-06-22 22:46:58) |
8.こういう愛の形もあるんだなあ・・・。車窓から乗り出して「ジュテーム」って何度も叫ぶベティが可愛かった。 【ナオちん】さん 6点(2004-06-14 08:56:12) |
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7.「愛と激情の日々」バージョンは見てないけど、インテグラルは2度見た。最初見たのは5年以上前、ふらりと入った映画館で。正直受けつけられなかった、また見たいと思わなかったし、今の精神年齢じゃ理解不能だってことがわかった。でも、ベティが放つものすごいエネルギーが印象に残ってて、恐いけど憧れの、いつか理解したい映画だった。 あれからいくつか恋をして、そろそろこれを見てもいいかなって気になってきた。見たら、なんてことはなかった。こういう恋愛はドラマチックだけど、ドラマで十分。私も大人になっちまいました。 映画として特筆したいのは、画が繊細で美しかったこと! 【●えすかるご●】さん [映画館(字幕)] 7点(2004-05-22 01:41:42) |
6.10年ぶりに見直しました。 いや~ 痛い!重い!苦しい!辛い!のオンパレードです。 ベティには未来はないのか?彼女は「今」だけを生きるのねえ~。100か0 両極端のベティ。見ていて痛くなります。 それを必死に支えようとするゾーグ。 初めてこの映画を見たときは私はゾーグよりベティに年が近かったから彼女に感情移入したけど今回はゾーグより年上。 彼の気持ちは如何なものか? 教訓:過去に見た自分が名画だと思うのはあんまり見直ししない方が宜しい。 【あずき】さん 8点(2004-05-07 15:49:15) |
★5.カット版を先に観ました。インテグラルではゾルグの心情がより伝わりました。ベティはまるで猫のよう。ラスト、窓から猫が一匹部屋に入ってきますね、あの猫がベティに見えました。あちらにおおかたの感想は書きましたが、やはり苦しい映画だというのは同じです。観終わったあとしばらく動けなくなってしまうのね。この作品の原題は「37°2 LE MATIN」(朝、37゜2)女性の基礎体温になりますか。最も妊娠しやすい状態、つまり女性がいちばんキレイな時、心身アツくなっている、高揚している時といってもいいですね。ベティの愛はいつも37゜2のようでした。 【envy】さん 9点(2004-03-25 09:33:12) (良:1票) |
4.《ネタバレ》 私が観たのはこちらの完全版の方らしい。この映画は、鮮烈な画を脳裏に残し、鮮烈な傷を心に残した。あの海辺の燃えるバンガローのように、若くて美しくて、自分の愛した才能のために弾丸のように真っ直ぐ、命いっぱいに行動する激しい気性のベティ。そして、いつもいつも激しさでなく優しさでそれを返すゾルグ。海辺の町、パリ、田舎の家と場所を移しながらも二人の愛の関係は変わることはない。最後にはベティは心を無くし、空を見つめるような状態になってしまうけれど、なおもゾルグの愛は続く。ベティが羨ましかった。愛の形は人それぞれ違うものだと思うけれど、この飾らない気持ちを100%の形で伝てしまうその性格、周りを顧みることなく突っ走ってしまう行動性、それを受け止めてくれる、大切な片割れの存在。心をさらけ出して失敗し、躊躇と愛想笑いばかりが増える私には、毒のように強い彼女の純粋さが強烈に心にしみた。かなり長い時間の映画で途中抑揚の無い部分もあるが、二人の、時に大きかったり小さかったりするふれあいのシーンを最後までじっと見つめていた。ベティとゾルグと、溢れんばかりの感情を受け止め、切なくて泣けてきたのを覚えている。観てからかなり時間が経っているけれど、あの時の傷は今でも疼く。 【のはら】さん 9点(2004-03-25 03:05:07) (良:1票) |
3.痛い。見た目も痛いが、愛し合う2人の展開も痛い。かなりストレートなラブストーリーだと思う。「ね~ぇ、私のどこが好き?」などという恋愛とは違う。「好きだから好き!」という駆け引きもなにもない直球勝負かつ体力勝負の恋愛である。ある意味羨ましく思える。若いっていうのはイイの~。 【中岩無洋】さん 8点(2004-02-25 14:16:41) |
2.《ネタバレ》 これはゾルグとベティの愛の物語である。ゾルグの受難でもベティの破滅でもない。ゾルグはベティを受け止めたのではなく、ベティは自己崩壊を起こしたわけでもない。そんな事じゃない!ベティはゾルグを愛する事で生きた。そして、それと同様にゾルグもベティを愛する事で生きた。ベティと出会うまでのゾルグはゾルグではなかった。アドルフの回想録を書き、人生に横を向いた傍観者でしかなかった。そんな彼が、ベティを愛すことで人生に真正面からぶつかってゆく。それまで道なりだった人生は一変する。人々はみな善良で、滑稽で、愚かである。日々は退屈で、虚無に満ちている。そんな中で、ベティとの愛だけが輝いている。しかし、その至高の愛はその純粋さ故に食い荒らされ、朽ちてゆく。ベティは心を病む。3人の警官、雇い主、白皮症のボブと妻、さらにリサとエディでさえも、彼らの愛を食い荒らす愚かな人々に過ぎない。そして、ゾルグは気付く、自らもその愚かな一人に加わっていたことを。ベティの純粋さと、自らの愚かさの狭間でゾルグは悩む。ベティはあまりに純粋で、張り詰めて、二人の愛にはどんな夾雑物も許されない。この愛は内側から崩れたのではない。全ての愚かな物が二人の愛を朽ちさせたのだ。ゾルグは自らの手で、愚かな人々に汚されたベティの息を止める。しかし、決して後悔はしない。何故なら、それをベティが望んでいることを知っているから。"信じる"とは別の次元で、彼は二人の愛が永遠であり続ける事を"知っている"から。だから、彼は自らの命を絶ったりなんかしない。彼は虚無から立ち上がり、ベティに捧げる小説を書き始めることができる。ベネックス監督は愛の対極に「愚かさ」を置いた。そして、ベティは、あまりに純粋すぎた、それだけである。 【fero】さん 10点(2004-02-23 21:34:25) (良:1票) |
1.補い合うと同時に、削り合っている。痛々しい共依存の物語。 【ひのと】さん 9点(2004-02-20 18:19:13) (良:1票) |