6.《ネタバレ》 戦後一貫して日本の美を追い求めた川端康成が、京都を描くために京都に住みついて原作を執筆した。違う環境で育ち、偶然出会った双子美人姉妹の物語。姉の千重子は捨て子にされたが、育て親に恵まれ、呉服問屋の令嬢として乳母日傘で育てられた。捨てられた理由は、貧困と「双子は育ちにくい」という迷信のため。苗子は実の両親の元で育ったが、幼い頃に二親とも逝去。苦労して育ち、今は北山杉の土地持ちの住み込み奉公と山仕事を兼業して暮らす。特筆すべきは苗子の驚嘆するほどの奥ゆかしさ、慎み深さだろう。自我を前に出さず、相手を思いやる心、謙遜の情にすぐれている。原作者の説く日本の美の体現者だ。両親が亡くなったのは、姉を捨てた神罰と信じ、両親が亡くなった後は、その罪はいつか自分に降りかかるものと覚悟している。姉に対して何も望まない。北山杉で会う場合も、村人の目を憚って山中で会うという気の使いよう。姉の家も訪ねる折も、わざわざ夜にする遠慮深さ。それを迎える姉の両親の気配りも良かった。呉服問屋で一緒に暮らさないかという申し出は断わる。贈られた帯も付けない。姉と同泊したのを今生最上の喜びと表現。優しさも兼ね備える。山で雨に降られた時は姉にかぶさり、寝る前には姉の布団を温めたる。別れるとき、姉の差し出した傘を受け取ったのは、形見替わりとしてだろう。姉を慮ってもう積極的に会う気はないのだ。典型的な相手に尽くす型の女だが、自分の生き方を貫く強い女でもある。一方千重子は素直に育ち、良妻賢母型で、両親のいう事に逆らわない生き方で満足している。両親の持ってきた結婚話も受諾する。運命を受け入れているだけのように見えるが、実は運命を切り拓いている。未来の夫の忠告に従って、家の商売の勉強を始めるのもその証左。捨子ながら幸福な家庭環境の下で育ったのも偶然ではないだろう。”紅殻格子の前に捨てられる”という運命を引き当てたのだ。巫女的な力を宿しているように思う。これは双子を演じた山口百恵が、恵まれない家庭環境に育ちながらも国民的スターになれたことと重なる。苗子は、彼女が「赤いシリーズ」で演じた”薄幸ながら力強く生きる少女”の分身だ。彼女の二面性を合わせ鏡のように見せてくれる映画のように思える。偶然の産物だろうが、彼女の引退作品としてはこの上ないものだったと思う。アイドルを越えた女神、山口百恵が”日本の美”として記録された。 【よしのぶ】さん [DVD(邦画)] 7点(2012-08-16 23:52:54) |
5.伊豆の踊子から6年、少女山口百恵が成人しついに結婚引退へ、彼女を見るのも最後と思って見た映画である。岩下志麻と比べるのは酷な話だが、ここまで成長したのかと感慨深いものがある。 映画の面では市川崑監督であり、川端康成の原作の雰囲気がよく出ていると思う。(原作も読まずによく言うよと我ながら思う)三浦友和をどう使うか心配したが、あれで良かったと思う。 【ESPERANZA】さん [映画館(邦画)] 7点(2012-01-04 17:23:21) |
4.山口百恵の出ている映画を観るのは初めてだけど、思っていたより良く出来ている。流石は市川崑監督である。単なるアイドル映画としては撮っていない。一人二役の山口百恵の表情、化粧や着物の違いなどを見せることで二人の生活の違いや性格というものを表現しているあたりの拘りなど市川崑監督はそういうちょっしたことでも手を抜かずに見せてくれている。古都の町並みの美しい映像美、祇園祭の場面での二人の表情の映し方も上手い。山口百恵の演技に関しては確かに本職が歌手であり、女優ではないのでけして、上手いとは言えないし、また、三浦友和の起用も確かに二人を売り出そうというものが見えてしまいマイナスではあるけれど、脇を固める俳優陣が芸達者な人が勢揃いで中でも岸恵子、やはりこの人の上手さは特に市川崑作品の中ではいつもながら感心させられる。そして、この映画、市川崑監督と言えば私が初めて市川崑監督の映画を観た作品が「犬神家の一族」である。そんな「犬神家の一族」にも出ている加藤武、小林昭ニに三条美紀というキャスティングが何とも言えず嬉しさを感じてしまいます。岸恵子にしても同じ市川崑監督で横溝正史原作の「悪魔の手毬唄」に出てるというように私が市川崑という監督を意識するきっかけを作ってくれた二つの作品の共演者がいる。それだけでも見て良かったと思えてならないし、何よりも京都の美しさ、言葉の美しさ、これは後の「細雪」に通じるものを私には感じずにはいられず、何度も言うけど単なるアイドル映画とは大きく違う日本的な様式の美しさが心に残るそんな作品です。 【青観】さん [CS・衛星(邦画)] 7点(2009-01-04 22:05:30) |
★3.市川崑作品としては、横溝正史シリーズと『細雪』との中間にあって、まだ前者の雰囲気をひっぱりながら後者への準備となった、と思えばそれなりの意味もあったのかもしれないが、いかんせん、つい中村登監督1963年松竹版が思い出されて比較してしまう。この映画が撮られた1980年の京都というと、市電もなくなり、それまでのみやびさが陰湿さ一方につつまれた京都とちがって、明るさと小綺麗さが出てきた京都だったように記憶する。もうしっとりさも薄らいできた時分だった。そうした時代性もあるのか、松竹版の深みが感じられない。松竹版の成島東一郎の撮影、武満徹の音楽の調子の高さにも比べようがない。岩下志摩に比べると、山口百恵は呉服屋の箱入り娘の雰囲気にはなく、なにか問題ある家の薄幸の若い女(テレビの赤いシリーズの延長線!)という感じだった。せっかくの市川崑の映像美もからまわりというべきか。残念。 【goro】さん [DVD(邦画)] 6点(2007-09-17 21:26:33) |
2.市川作品の常として、画調が深く沈んだ陰影で統一された格調高い仕上がり。アイドル映画としての枠を越えた川端康成原作の文芸映画と言ってもいい出来だと思います。ただあくまで百恵&友和コンビも売りにしなければならなかった故か、全体としてのバランスがおかしくなっちゃった感じ。「ヒュ~ルヒュルヒュ~ルヒュル、風が哭きます」ってこの映画の主題歌でしたっけ? 【放浪紳士チャーリー】さん [ビデオ(字幕)] 7点(2005-12-10 13:23:26) |
1.ただ、ひたすら市川崑の仕事っぷりを確認しただけでした 更紗に鋏を入れるシーンや、衣擦れの音、北山杉をわたる雲の影etc 歌手が女優をやるのは無理があるかな 主役が他の人だったらもっと違ってたかもしれません 熱演はしてるんだけど… あ、でも、これってアイドル映画なんですよね う~ん 【宵待草】さん 7点(2004-01-29 20:17:51) |