44.《ネタバレ》 中盤以降なんとも暗い展開になりその暗い展開のままエンドです。 【以下ミスティック・リバーのネタバレもあり】 さてなんとも納得のいかない最後です。伝えたい事はわかる。 だがしかし主人公が死ぬのは何かひっかかるものがある。 同じ監督で同じ暗い終わりかたなのになぜこうも片方は納得できて 片方は納得できないのだろうと考えました。ミスティック・リバーは 止められない大きな運命にちっぽけな人間がどうしても流れてしまう 悲運が納得できたのか・・・。これは運命というより違う力のような 気がする。だから納得できないのか・・・。 【とま】さん [映画館(字幕)] 6点(2005-06-07 17:39:34) |
43.《ネタバレ》 むう、これはカラっと晴れた平日の朝、時代遅れのバブリーな六本木ヒルズの中の、キャラメルポップコーン臭いシネコンで見るべき映画じゃなく、雨の土曜午後の渋谷東急でじっくり向かい合うのが似合ってる映画じゃないか?なんて思いながらスクリーンを見つめていました。さて、懐古オヤジの戯言はともかく。イーストウッドが作っているのはまごう事なき「映画」なのだなぁ、と。これまでいっぱいの映画を見てきて、それぞれがもちろん、全部「映画」なのだけれども、先達が組み上げてきた映画の匂いというものがあって、ここにはその至極真っ当な流れを汲む匂いがぷんぷんと漂っていました。昔、映画館で感じていた匂い、いつの間にかあまり感じられなくなった匂い。映画の中の世界が小綺麗に整理され、パッケージングされている今、妙にモーガン・フリーマンの靴下や服の穴に生の息遣いを感じたり。映画が饒舌に物事を語る手段は、何もセリフに拠るものである必要はないという当たり前な事実が、カメラやセット、人物設定、そして演技から溢れ出しています。かと言って過剰な自己陶酔がそこにある訳でもなく、あくまで真摯に映画のフレームの中に収めて人に伝えてゆく・・・多くのイーストウッド映画に見られる、普段私が忌避してしまう乾いた空虚な感じも、今回はドラマとのせめぎによって大きな効果に昇華されていたように思えます。で、2点のマイナスに関しては、これはもう死生観に対する自分なりの相違ってモノに尽きます。自分が彼女の立場だったら、彼女と同様な道を望んだでしょうけれど、イーストウッド側の立場だったら、と考えると、きっと違うな、って。彼なりの強さと弱さとが混在したラストだとは思うのですが、私の頼りない強さと絶対的弱さは、かなり違った選択をする事でしょう・・・。 【あにやん🌈】さん [映画館(字幕)] 8点(2005-06-06 14:47:32) |
42.内容については皆さんが仰るとおり。-----時間が経つと、どうしてこれほどまでに後々まで心に残るのかを冷静に見つめ直すことができた。確かにテーマは重いのかもしれないけれど、ストーリーはそれほどではなかったように思う。でも、ひとりひとりの人物描写が丁寧なことで、そのストーリーに深みが生まれるんだなぁと、しみじみ感じた。ヒラリー・スワンクは、女性ボクサーとして違和感がないように、身体づくりも頑張っているし、クリント・イーストウッドもかなりの年齢なのに、背筋もピンと伸びていて姿勢もよく、ボクサーを指導する役どころを好演していたし、そしてモーガン・フリーマンは『ショーシャンクの空に』を彷彿とさせる演技を見せ、フランキーとマギーを客観的に判断させることに貢献し、且つ、感情移入させることに成功させた素晴らしい役者だ。 【チャコ】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-06-06 14:31:52) |
41.■「モ・クシュラ」という謎の言葉、レモンパイを出す店、スクラップ、それらの配置はいかにもハリウッドの文脈にのっていて、そこからはずれることはない。この映画のラストを、ハリウッド映画一流のさげ、と評してもおかしい話ではないし、「ウェルメイド」な物語が現実と程良く折り合っている、と批判したって構わないとさえ思える。演出は完璧だし、フォード的、ホークス的な疑似家族は私たちを心地よく映画の世界に引き込んでくれる。■しかし、そう言いきれない居心地の悪さ。妙なズレ。■それは例えばマギーの口にねじ込まれるボールペンであり、片足の無いシーツのふくらみであり、がらんとした部屋で詰られるマギーの姿である。それは「残酷な現実をクールに描く」というものでもない。また「多様な現実を並列に配置している」わけでもない。■「現実」ではなく「映画」が要請しているから描いただけ、イーストウッドにとって「現実」とは「映画」なのだ、と思う。「映画」が世界の有り様をねじ曲げていくのだ。現実ではなく「映画の倫理」の中でしか、イーストウッドは生きていない。■だから、「マギーの選択の是非」「イーストウッドの決断の是非」を問う言葉、あるいは、「感動した」「マギーの家族がステレオタイプ」「後味が悪い」などの評に、賛否を問わずことごとく違和感を感じるのは、それらの言葉が常に現実を参照しているからだ。現実との距離を計測し、自分と映画の立つ位置を定める言葉。それらはこの異様なる傑作を前にして、すべて無効となる。■しかし、それらの言葉は当然と言えば当然ではある。映画は常に現実の模倣であり、あるいは現実との不断の闘争の場である。ところがイーストウッドはそれをすんなり乗り越える。軽いフットワークで現実を凌駕する。「映画」が世界の有り様をねじ曲げていくのだ。しかもハリウッドの文脈の中で。凄すぎ。■でもね、クリント、そんなのよくわかんないすよ。だから私はただ途方にくれ、ただ泣くしかない。その完璧なスタイルの中で繰り広げられる異様な事態を見続け、これが「映画」だと、ああ私は今まさに「映画」を観ている、凄い何か、異様な何かが目の前で進行している、と思う以外にない。 【まぶぜたろう】さん [映画館(字幕)] 10点(2005-06-06 11:37:16) (良:4票) |
40.予告を見た時に、きっとラストはこうだろうな・・と想像して、その想像以上の事態がラストに起きてしまい呆然としてしまった。流れそうだった涙を流せない程衝撃的。マギーの成長やフランキーとの絆が深まってく過程を見てきたので、最後に試されたその絆の大きさを見せられた時、辛かった。良い作品だった。ちなみにあのノスタルジックな音楽はイーストウッド作曲だそうです。あの音楽・・。切ない・・。ゲール語の意味も良かった。 【ネフェルタリ】さん [映画館(字幕)] 8点(2005-06-05 23:09:59) |
39.イーストウッドのこれみよがしな演出手法は昔から嫌いだったが、若い頃は表面上の装いに騙された。外連は所詮外連だが、中にはなかなかよく出来た外連というものがある。物語にしんみりと深い味わい(この味わいがそもそも外連なのだが)があり、今後繰り返し見る作品となりそうだ。イーストウッドには、外連の神様”ケレン・ヘラー”の称号を授けよう。8 【伯抄】さん [映画館(字幕)] 8点(2005-06-05 15:15:19) |
38.僕もやましんの巻さんと同様にフランキーとマギーの関係は恋愛そのものであり、同時にそれを超え出たものであると感じた。「自分を守れ」「タフなだけではダメだ」「相手の逆へ動け」、、、ボクシングにおけるフランキーの信条こそが彼の美意識としての人生を物語る。しかし、そんな彼の孤高さは、孤独と等価だ。フランキーとマギーは孤独が結びつける精神的な関係であると共に、トレーナーとボクサーというボクシングを通じた絆によって、一種の肉体的な関係をも共有する。僕らはそこに通常の恋愛における激しさやメロウさとは違う、揺るぎない生の勁さ(つよさ)、身体性に基づく深い関係を見出すのである。 2人は精神的な恋愛関係であると共に、身体的とも言える強い結びつき、生の実感を共有する。だからこそ、マギーはフランキーによって死に至らしめられることを望み、最終的にフランキーはマギーに対してタオルを投入できたのである。 スクラップがケイティに語り聞かせる。彼らがどう生きてどう死んだか、それが2人の物語として語られてこそ、関係を生きるという実感、可能性、そのリアリティが初めて強調される。僕はそこにこそ、この映画の生の強度を強く感じる。僕らにとっての主体的な生とは何だろうか?主体的な生とは主体的な死にも繋がる。今、日本には年間3万人の自殺者がいるが、彼らは主体的に死を選び取っているのだろうか?正直言って僕には分からない。僕には所詮「生きる」意味すらも実は分からないのである。分からないことは分かるし、そのことを意識する限りにおいて、分からないことのリアリティを感じることができる。それだけなのである。この映画を観て感じるリアリティも逆説的な生への実感という意味で同様かもしれない。最後に、、、この映画の陰影ある映像こそ、クリント・イーストウッドの「いかがわしい場所で人間の道を極める」意志そのものだろうと、僕は思うのである。 (追記)この映画のラスト、、、「人間の宥め難い不遇の意識に対する水のような祈りとして」、生きる努力に対するひとつの許しとして、タオルは投げられたのだと僕は思う。ちなみに行為としてのタオル投入は、闘いの放棄という意味しかない。通常、セコンドは闘者の直接的、間接的(肉体的)意志を感じ取り、またその声を聞き、タオルを投入する。その際、セコンドは闘者とリングを共にしているのだ。 【onomichi】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-06-04 20:39:29) (良:2票) |
37.《ネタバレ》 ボクシングに対する情熱とラストの選択には感情移入出来ないものの、なんとも切ない映画で、確かに甘いラブストーリー。フランキーの孤独や故郷への思慕、マギーへの想いは監督自身熱演でしたね。脇役も熱演。どっしりとくる作品でした。 【kiryu】さん [映画館(字幕)] 6点(2005-06-04 15:43:10) |
36.《ネタバレ》 これはSTYX21も書かずにはいられない(含み笑)。イーストウッド、期待を裏切らないですね。相変わらず理不尽で受け入れ難い現実を描きつつも、しっかり心に響く作品を撮ってます。ロッキーが、エイドリアンのため、自分がゴロツキでないことを証明するために闘ったのと同様に、マギーは家族のため、自分の存在を確認するために闘った。その結果、闘い抜いたロッキー、潰えたマギー。しかし、これが理不尽な現実。エイドリアンとの愛を得たロッキー、家族から見捨てられたマギー。これも理不尽な現実。そして、人生のリングで「ファイディング・ポーズ」をとれなくなったマギーに「タオル投入」したフランキーには賛否両論あるだろうが、「試合」を続行するか決めるのは、ボクサーとセコンドの意思であって、「観客」や「レフリー」が続けろと言うことはできない。フランキーとしては、ブーイングされても、もはや闘うことができないボクサーを「見殺し」にすることはできなかったのだろう。これも理不尽な現実。「もし、リングに上がってなかったら・・」、長く生きられたかもしれない。が、マギーに何が残ったというのだろう。少なくとも、リングに上がったことで、フランキーと共に闘ったという証が得られたことは確かなはずだ。 最後に反則したチャンピオンへ、「アホンダラー・ベイビー! バシッ!(パンチ一発)」 チャンピオン:「うっ・・ドサッ(倒れる)・・・・」 「ザマミロンダラー・ベイビー!」 (←これを書かずにはいられなかった?(ニガ笑)。イーストウッド同様、期待?を裏切らないアホンダラー・ベイビーのSTYX21でした(ニガニガ笑)。相変わらずくだらないネタですが、これも理不尽な現実です(自ら失笑)。マギーがレモンパイでなく、ロッキーのように生卵を飲んでたら、あのパンチでチャンピオンをKOできたはず・・と思ってしまったのは、勝手な妄想です(自ら嘲笑)。) *一部、他レビューワーの方の言い回しを「オマージュ」させて頂きました、ご了承下さい・・・。 【STYX21】さん [映画館(字幕)] 7点(2005-06-04 12:54:04) (笑:2票) |
★35.《ネタバレ》 何ともやりきれないラストではあるのだが、感動も並ではない。しかも爽やかな余韻さえ感じられる。この矛盾したような感覚はなぜなのだろう。不幸な生い立ちの中、唯一尊敬できる人間にめぐり会え、そのボスの教えを守りボクシングに人生をかけるマギー。「自分を守れ」。努力は報われ、チャンピオンと人生の勝利に手が掛かりかけたが、不運が彼女を襲う。エディは失明した最後の試合にこだわりがあり、フランキーは娘や宗教との関係にこだわりがある。マギーは母親との確執とこのまま年齢を重ねることへの葛藤がある。それぞれが持つ苦悩は、人間としての尊厳をどう守るのかと言う、自分自身との戦いでもある。尊厳へのこだわりは、「自分を守る」ことなのだろう。マギーの最後の涙は、最後に人間としての尊厳を守ってくれたのが、最愛の人であった感動の涙なのかもしれない。 【パセリセージ】さん [映画館(字幕)] 10点(2005-06-04 10:01:15) (良:2票) |
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34.抑制の効いた演出と手法は円熟の極みをさらに超越した存在だろう。作品としてはもう観たくないけど…。今のハリウッドに背を向け、あえて死生観を扱った作品を撮り続けているイーストウッドは底力を見せ付けているが、映画人としても自らの人生に対しても幕引きを多少は考えているのかもな。終末感が漂う。【余談】字幕担当の方は有名な方ですが、専門的な用語が必要とされていても、相変わらずそれについて調べる気がないようですね。 【ロカホリ】さん [映画館(字幕)] 8点(2005-06-04 03:53:10) |
33.原作を読んだ上で映画館に臨みました。原作は短編集であり、正直なところ、それほど傑出しているとは思えない作品でした。さりながら映画については、イーストウッドの手腕にただただ驚かされるしかありませんでした。まさかあの原作を、骨格はほぼそのままに残しつつ、ここまでの作品に昇華させるとは……。当方、このところ海外ミステリ小説にどっぷり浸かっており、原作を台無しにしてしまっている映画作品の多さに辟易していたのですが、この「ミリオンダラー・ベイビー」は原作を大幅に凌駕しています。イーストウッドをはじめとするスタッフ一同に心からの拍手を。 【K】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-06-03 18:09:59) (良:2票) |
32.うーん、どー書けば良いのか。別に難解なお話ではないけれど、何つーか、良い意味で頭が真っ白になってしまって、どう言葉にすれば良いのか分からないのですが・・・僕はこれ、いわゆる「悲劇」ではないのだと思います(もちろんハッピーエンドでもないけれど)。僕はイーストウッド作品は「許されざる者」と「ミスティック・リバー」しか観てないけれど、共通してるのは、登場人物の行為を正当化もしていないし、断罪もしていない、という事。彼はただ、人間の「ある姿」を映像に収めて観客に提示する。だからこの作品も決して「尊厳死」の是非を問うものではなく、あくまでシンプルで寓話的なラブストーリーなんだと思う・・・・・・うーん、やっぱしうまく書けん。また見直す機会があれば、改めて書きます。とりあえず僕はこの作品を見てる間、何度かまばたき出来なくなってしまいました。 【ぐるぐる】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-06-03 18:07:13) (良:2票) |
31.《ネタバレ》 「タフなだけではだめだ」「人の逆をつけ」「自分を守れ」、、繰り返されるボクシングの教訓は、そのまま登場人物の人生そのものと重なります。ボクシングは体に沁みついてしまうスポーツのようで、スクラップやデンジャーのようにそこから離れられない(そこにいるしかない)者もいる。けれどフランキーとマギーの二人がそこに戻ってくることはない。マギーの母が一言「よく頑張ったね、誇りに思うよ」と言ってくれたらどんなに救われただろうかと思うと、そしてフランキーの映画には描かれないそれまでやこれからを考えると、、悲しすぎる孤独や絶望に、心が沈みこんでしまいそうです。これは映画なのだからと自分に言い聞かせてみても、受けてしまった衝撃は当分薄れそうにありません。それでも観て良かったとも思います。マギーの頑固で気高い魂や、彼女を守ろうとするフランキーの葛藤が、深いグリーンの色調の中で美しく息づいていました。イーストウッド監督の演出も演技も音楽も、円熟という言葉では足りないほどの凄みがあり、他の映画をかすませるような残酷ささえ感じました。 【あまみ】さん [映画館(字幕)] 10点(2005-06-03 13:31:11) (良:3票) |
30.自らの誕生日にスピードバックを返す。次の誕生日にはビジネスライクなマネージャーを贈られ拒む。母に贈った家は喜んでもらえない。このバランスの崩れたマギーの贈与に正当な光を与えるのがフランキー。アイルランドへの郷愁、自家製のレモンパイへのこだわりに窺えるフランキーのホームへの渇望は、妹といっしょに犬を笑い、父と遊んだ幼き頃へのマギーの思慕と重なり、美しく無償の愛が交換される。市民ケーン的な形式を踏んでいた「アビエイター」よりもこの映画が市民ケーン的に見えるのは、始終マギーの瞳に透過された薔薇のつぼみを我々は見てしまう、見えてしまうからではないだろうか。 【彦馬】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-06-03 13:26:46) (良:1票) |
29.《ネタバレ》 (再度映画館でみて全面に書き換え)マギーへの投薬を終えたダンが暗い廊下を歩き、光溢れる世界に扉から出た時、一瞬彼が引き返す素振りを見せるその姿が私の脳裏から離れない。そして感じた事は、マギーが飛び込んだボクシングという世界は相手の「尊厳」を奪い自分のものとするということ。その世界で生きていたマギーだからこそ、ベッドに横たわるマギーへ母親が放つ言葉…「結局、負けた」という言葉がボクサーとして、人間としてのマギーの尊厳すら奪ってしまう…。そして23年前の事を悔い続けて、スクラップの半生の面倒を見ることでその贖罪としているダンにとって、老い先短い自らの余命とマギーの半生のあまりの長さに自らの贖罪方法が見出せないでいた…。この二つの悲しい流れが合流する時、あの結果は当然だったのかもしれない。そう思えばこそ、この映画は一般的には認められないけれども、二人にとっての大いなる救いであった。この映画は、とても切ない。けれど、とても美しい。 【クルイベル】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-06-03 13:05:17) |
28.《ネタバレ》 あまりに悲しいエンディング… 素晴らしい映画だと思います。でももう一度観ようという気にはなれない、今のとこ。本論から離れたところだけコメント入れます。マギー・フィッツジェラルドという名前、フランキーがイェイツに凝っていたことからアイルランド=ゲール語ネタに結びつくところは、他国人にはわかりにくいですね。なんで緑のリングコスチュームなのかってとこ含めて。冒頭の教会カソリックです、あそこが伏線で合衆国、イギリス諸島の観客は「なるほど」って解釈するはずですが、日本人にはねぇ。ダンという姓もアイルランド系なのかな? 脊椎損傷後の姿、クリストファー・リーブ思い出して余計に悲しくなり、とてもつらかった。息でコントロールできる車椅子に乗ったりしてたら大泣きしてたかも知れない。クリント・イーストウッドの老いてたるんだ肉体の存在感、ヒラリー・スワンクの眼力(めぢから)が演技に深みを加えててとてもとても心に残りました。スクラップが、フランキーの娘ケイティに書き送る手紙の内容として物語が進行していたとは、最後のシーンまで気がつかなかった。うまいっ。でも、DVD出ても観ないだろうなぁ。 【shintax】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-06-02 14:13:23) |
27.全く文句のつけようのない映画です。主演3人の演技は素晴らしいし、演出・カメラワークも最高。音楽も物語全体にうまくマッチしており、観ながらここまで引き込まれた映画は久しぶりです。が、話の内容があまりにも悲しすぎる。映画自体の出来がよく、ものすごく感情移入できるだけに観終えた後の落ち込みは半端なものではありません。身を切られるような映画でした。 【ふじも】さん [映画館(字幕)] 7点(2005-06-02 12:24:37) (良:1票) |
26.《ネタバレ》 今回のアカデミー賞では、確かに他のノミネート作を圧倒する映画的完成度なのは間違いないし、万人にとって判り易い「名演技」を披露したジェイミー・フォックスがいなければ、主演男優賞も本作が獲得していたことでしょう(個人的には音楽賞もあげたい)。私は本作を「逃げ場所を失った人達」のドラマと見ました。マギーが何故フランキーの元に押しかけて来たのかは判りませんが、とにかくフランキーが彼女の最後の逃げ場所となった。失い続けの人生を送ってきたフランキーにとっても、彼女が最後の逃げ場所となる。二人とも逃げ続けて、行き着いた場所がお互いだったのです。しかし運命は、彼らからそれさえも奪い取ってしまう。地上に逃げ場所を失った彼らの向かう所は一つしかない。…それにしても、暗い話だ。こんな暗い話では、私はとても感動できません。たまには、他人を不幸にしてでも生にしがみつく様な人達のドラマが観たいです、7点献上。 【sayzin】さん [映画館(字幕)] 7点(2005-06-02 00:09:54) (良:1票) |
25.「ミスティック・リバー」同様、クリントの描く人生は死ぬまで罪を背負い続けなければならない、ある種理不尽なもの。でも「ミスティック・・・」で描かれた誰もが流されて生きるストーリーと違い、この映画の登場人物は必死で自分の人生を掴もうとする人たちで、だからこそ生きるということはそういうことなのかもしれないと、この映画を見て素直に思った。決定的瞬間をわざわざスローモーションで大げさに見せる他のスポーツ映画とは違い、淡々と戦いを映し出すボクシングシーンが素晴らしく、またメイン3人の演技も文句のつけようがない。おそらく今年最良の1作。 【ぽん太】さん [映画館(字幕)] 9点(2005-06-01 18:00:09) (良:1票) |