39.《ネタバレ》 期待が高すぎたがゆえに厳し目の点数となった。残念。。原因は随所に織り込まれる現代の朔と律子の場面にある。
原作は未読なのだが、映画のテーマである大団円での感動を深めようとする余り設定が作為的になり過ぎたと思う。
ことに律子の絡ませ方というのにかなり無理があり、却ってリアリティーを欠いた恨みがある。
よって現代の二人の場面はとても効果的とは思えず、むしろこの二人が回想部の先の生にある人物とは、頭では
理解しても演技に見えてしまってしっくりこなかった。狂言回しとも主役ともつかないというような。
これは『GO』でも少し感じたことだけど、色々と詰め込み過ぎたのではないかと思う・・クレジットにも
脚本が坂元・伊藤・行定の3氏になっていたので、それもあるのかもしれない。
それでもこの映画を観て良かったと思えたのは、回想部を演じた森山未來・長澤まさみの稀有の存在感にある。
この映画が妙に余韻として残るのも、ストーリーとかより、実に大部分この二人の残像に拠るところが大きい
のではないかと思う。
それだけに回想部にも不満がない訳ではない。ここで描かれる高校時代というのが、プロモビデオのように
キラキラした画のつなぎに偏りがちで、悪く言えば表層的な感じがしてしまう。小道具とかディテールも確かに
大事だけど・・。欲を言えば、やや冗漫な前半と現代部分の一部を削ってでも、発病前の部分について、二人に
もっと演技させて欲しかった。というかあの頃の高校生の日常を含めもう少し細かく描いて欲しかった。
例えば馬鹿話をしたり、つまらない見栄をはってみたり、友人との微妙な距離感の変化だったり、気恥ずかしさ
とかかっこ悪さとか、他愛なくても人間的なエピソードがもっとあれば物語により厚みが増したと思うので
なんとも惜しい気がする。
逆に高校生の朔が焦がれている亜紀の名前(漢字)をよく知らないというのは、朔の大らかな?性格を現わしたい
のか、淡い恋を表象する意図なのか・・それにしてもあまりに幼稚だし不自然であり(思い返すと後に名前の由来を語らせたい事ありきの設定なのかな、拙いと思うけど)せっかくのいいシーンに
なるはずが気を削がれてしまった。
以上、自分なりに思った無いものねだりでした。気に障る方がいたらごめんなさい。