2.《ネタバレ》 西谷弘のテクネーなどという論文があったとするならば、
先ず論ずるべきは間違いなく、視線で描く演出の美学なるものだろうか。
西谷弘がまなざしで映画を作っていることは『アマルフィ』や『アンダルシア』の時点で
既に散々と書いてきたことなのだが、役者が向けるまなざしとそのまなざしの先にあるもの
例えば、草彅剛が見ているというショットと、何を見たかというショット
これらが物語を展開していくという流麗な手捌きこそが
西谷弘の映画の巧みさのひとつであることは誰にでもわかるだろう。
それは、誰をどのような玉で撮るのか、広角で撮るか、望遠で撮るか
後ろのボケ具合はどうかといった、撮影山本英夫の巧みさと相俟って成立している。
更に、このシーン繋ぎの見事さはなんだ。ひとつ例を挙げるとすれば
介護都市にしようという看板へのトラックインに、演説の音声をずり上げし
そのまま香川照之の演説シーンへと移行する華麗さ。見事という他にないだろう。
そして冒頭のトンネルのシーン、ラストのトンネルのシーンという反復性。
つまり主人公がこの先どうなるのかという暗示であり、この映画の結末である。
西谷弘の計算され尽くした演出力は、凡庸な脚本をここまでに仕立て上げてしまう。