22.《ネタバレ》 夢に憧れて、夢を持ち、夢を見て、見て、見続けて、ついに夢を叶えた時、夢は終わる。
それは、二人が踊ったマジックアワーのように、限られたものだからこそ、美しく、何にも代え難い。
「LA LA LAND」とは、文字通りロサンゼルス、特にハリウッドを指す言葉である。
そこには夢に取り憑かれ、夢に浮かれるあの街と、そこに住む“夢追い人”の様を揶揄する意味合いも含まれるらしい。
しかし、そんな“周囲”のフツーの価値観などは百も承知。或いは愚かだろうが、浅はかだろうが、跳ね除け、歌い飛ばし、踊り飛ばす。
そんな“夢追い人”として生きようとしている人、または生き続けている人々の「気概」が、このミュージカル映画のタイトルには込められているように感じた。
もちろん僕はハリウッドには行ったことすらないけれど、少なからず何かしらの夢を持ったことがある人間の一人として、彼らのその気概と、必然的に伴う現実の切なさに対して熱くならずにはいられなかった。
そして、夢に生き、一つの夢の終わりを見届けた二人の或る終着点に、刹那的な美しさと、堪らないエモーションを感じずにはいられなかった。
ラスト、別れた二人が邂逅した時、まるで在るはずのない走馬灯のように、彼らが“辿らなかった”人生模様がめくるめく。
そこにはファンタジーのような多幸感が満ち溢れ、これでもかと我々の胸を締め付ける。
他者を遮断し、感慨にふける二人。しかし、彼らの表情に後悔はまったく感じない。
選ばなかった人生が多幸感に溢れていたとしても、それが「=幸福」ではないことを他の誰でもない彼ら自身が最もよく分かっているからだ。
夢を叶えて、夢の終着を見た二人は、そこに必ずしも幸福が付随しないことをとうに知っている。
そして、成就しなかったからこそ、美しさが永遠に保たれる事柄があることも。
この映画の主人公達の人生は、決して美しくはなく、褒められたものではないのかもしれない。
でも、夢を追い続けた彼らに後悔はない。いや、後悔などしていられないのだ。
“ファンタジー”を愛し、そして同時にそれを“非現実”だと認めること。
それこそが、あの場所で夢を追い求めるすべての“ロマンティストたち”に与えられた宿命であり、矜持なのだろう。
決してただ単に「夢」を描いてラララと楽しい映画ではなかった。
もちろんその楽しさと美しさも認めつつ、苦しさや醜さをもひっくるめて、現実と非現実の狭間で、“夢を追う”という生き方を力強く肯定しているからこそ、この映画は素晴らしいのだと思う。
故に、特にハリウッドで生きる「映画人」たちからの賞賛の場であるアカデミー賞においては、最高賞の栄誉に相応しい作品だったと思う……本来であれば。
こういう映画がすんなりと“No.1”に輝く時代になればいいのだけれど。